お仕事が接客業だと

下手すりゃ百人単位の人と一日で言葉を交わすことになる


それに加え

仲の良い友人との電話

お悩みメール下さった方への返信

つぶやきに対するお返事

ミクからのメッセージへの返信


思えば一日に色んな方と会話をしていることになる


兄さんに差し上げるコメントも、そうだ

私のコメントを彼が読まれた時点で

彼が何かを思ったら、それは会話だと信じている


何も思わなければただの一方的なコメントだが

そういう人ではないのを知っているからコメント差し上げている



口から零れるものも

こうしてネットで書くことも

全て「言葉」を使う訳だけれども


この「言葉」の使い方

お下手な方があまりにも多い


「どう致しますか?」

「別に、いいよ」


どっちだって、話しだよ?

伝わってませんよ!!


プライベートでは


「紅茶とコーヒー、どっちにする?」

「コーヒーで、いいや」


「いいや」って、何なん??

諦めたんかい??

「コーヒーが良い」と言わんかいっ!!


「私の部屋にする?それとも貴方の部屋?」

「君の部屋でいいよ」


「で」って、何なん??

なら、来るなー!!

「君の部屋が良い」って言うべきなんのと違ゃうのかい??



日本語はね

奥ゆかしくて、実に楽しい言葉なんですよ


英語のようにアバウトではなく

その一言で情景や心情も表せる

唯一無二な綺麗な言語なんです


私は子供の頃から外人さんとの付き合いがあって

ハリウッド映画大好きなアメリカナイズされて育ちましたけど

こと「日本語」に関しては

感心することしきり、でした


ただの言葉で在りながら

相手を重んじたり労わったりも、する


そんな言語は日本人だけが持つものです


欧米の人達は

「良い一日を」

「良い旅を」

「貴方に良いことが起きますように」と

声を掛ける


それはとても優しいが

無責任感も伴う


私の幸福を願ってくれていることへの感謝はあるものの

行った先で疲れた私を癒さない



だけど日本人はそれを当たり前のようにやってのける

「お疲れ様です」が良い例だ


他の国にこういう言語は、ない


他人の疲れに「お」まで付けて労わる


「お疲れ様」


何て綺麗な言葉なのだろうと、私は思う



そういった相手を思いやり

推し量って言葉を選ぶ國に私達は生まれたのだ


それなのに、どうだろう?


多くの人は、言葉を軽んじて


真意を届けずにいたり、無意識に他人を傷付けたりしている


これって

悲しいことだと思いませんか?




何かを伝えるのは

この時代、簡単ですよね?


携帯でポチポチ

PCでカチャカチャ、何だって一瞬で配信出来る


だけど

それを受けた方は生身の人間

色んな事考えます


貴方が痛いと思うことは

その相手も痛いと思うこと


正しい日本語なら

誤解は生まれません


丁寧で、紳士的であることにマイナス要素はありません



思いやり


普段の生活で使っているその思いやりを


ネットの中でもどうぞ

お願いします