あ。

グルっぽの写真秋仕様に変えました

ホントはもっと良いのがあったのに

PC変えたらどっかいった

(何か兄さん着せ替えしてるみたいで楽しいです。これは管理人の特権です。写真の許可まで頂いてないけど!!・・・・ごめんなさい、兄さん)







今日TVを見ていたら

「小説を読んだり、映画を見たりした時に、何が言いたいのか分からない。と言う人に腹が立つ。そんなことを言う人は分かった顔をしていて恥ずかしい。ただ楽しんで観ればいいのに」と聞こえてきた




小説を読んだり、映画を観た後に

あれはこうだの、きっとこうだとか

こういうことを伝えたかったのではないかとか

こういう意味だったのでは?

何て話をするのが私は大好きだ

作り手の真意を知りたがる



それを「恥ずかしい」と言われるとは心外だ


私はそういうことの好きな人にしか話さないし


時折ここに書くこともあるが

「恥ずかしい」と思うなら読まなくて結構




逆に言えば

人が心血注いで作ったものに対して

「面白い」「つまらない」の二択しかないなど

失礼にも程がある



人は考える生き物でしょう?



何をどれだけ、どんな風に考えるかで

その人は形成されると思っている



自分では考えも及ばなかった発想や

考え方や生き方

あらゆる可能性を物語は時に教えてくれる


行ったことのない時代や、時空や

なったことのない人格や立場で物を鑑みることが

広い視野と想像力をくれる


また

ちゅうぶらりんになっている自分の過去の記憶を

どこかに辿り着けたりもしてくれる



観た後の解釈は

必ずしも正しいとは限らない


だけど

それで良いのだと私は思う


正確に読み取れなかった場合

原作者や映画監督には申し訳ないが


「娯楽」と言うものは、そういうものなのだろう


それを見て、読んで考える



一番肝心なのは、そこだと思う





私はこれを「当たり前」だと思っていたが

そうでない人達がいることには驚いた



社会派映画、実録小説ではなくても

「伝えたいこと」は必ずある筈だ



「伝えたいこと」を発しているものに

どうしてそれを受け止めようとしないのか

よく、理解出来ない




小説や映画に限らない


アニメにも、漫画にも、小さなコラムやエッセイにも、

皆様のブログにも


伝えたいことが必ずある筈だ


それを

なるべくなら正確に読み取ろうとして

そこには書かれていないけれど想像したり

思いやったり、

あれこれと考えることは




人を愛する者ならば

必ずするべきことだと思っている








これは、常識とは違うの?