(つづき)



レスターの物語~メソッド発見に至る自己探求の旅~その2


彼はどれだけの喜びに満たされたのか?

3ヶ月目の間、物事はより急速に進んでいた。彼を時折ひどく驚かせるような感覚の深まりがあった。彼の膝は時折崩れ落ちたが、それが修正されるまで彼は各々の感覚に止まり続けた。

彼はどんどん幸せになっていったが、この新しいプロセスによって到達し得る事に限界があるかどうか、まだ探求していた。「どれくらいまで行けるだろうか?」彼は自分自身に問いかけ、推し進めていったのである。

彼が思いがけなく、昔からいつも目の片隅で見てきた敵視していたものに出くわしたのも、この3ヶ月目の事だった。いつも周辺をこっそり動いて、以前だったら絶対に正面から出会いたくない相手だった。それは死の恐怖だった。

その「死の恐怖」が、彼が今まで感じてきたあらゆる感情の基盤になっている事を、彼は今や認識していた。彼は「死の恐怖」をうまく明るみに出して、たった数ヶ月前、戦いに殆ど勝ちを収めるところだった強敵をじっくり観察したいと思った。彼は死の恐怖の感覚を無防備にさせ、溶解させた。そして、このやり方は効を奏したのである。

彼は、今まで生きてきた間中、ずっと下から火であぶり、一時たりとも本当の平和を感じさせなかったこの敵に対して、この上ない自信と共に笑いとばすような境地に達していた。この怪物の生き残りは、結局はただの感情だったのである。

死への恐怖を溶解させ、彼はある日体が治り、健康である事を認識した。肉体の障害は治っていた。どうしてそれが分かるのか他人にはうまく説明出来なかったが、自分が誰であるのか分かるのと同じくらいの確かさでその事が分かったのだった。彼の肉体は健康だったのである。

3ヶ月目の終わりまでに、彼は体全体を無数の絶頂感(オーガズム)が一挙に押し寄せるとしか言い様がない、この上なく幸福で楽しい状態になっていた。その状態は延々と続き、彼はこの状態(性的なものではないが)を、求め続けていたが、SEXからは見つけられなかった状態なのだと悟った。彼は数週間、刻一刻と喜びが彼の内部で爆発している状態で過ごし、軽やかに感じていた。彼にとって、あらゆる人、あらゆる事がこの上なく美しいものになっていた。彼は修正する事を更に探し続けたが、そんなにないように思えた。時折何かが彼に起こっても、彼がその意味を明らかにする前に殆どが消えていた。そしてより強烈に喜びが彼に押し寄せるのだった。

数週間後、彼はこの喜び以上の何かがあるのだろうかと考え始めていた。いつもの場所にある椅子にドサリと座り、足を伸ばし、顎を胸につけていた。答えを期待せずに意味もなく考えていたが、その答えはやってきたのである。

この信じられないような、止まる事のない喜びの状態以上のものは、どんな状態だろう?彼はそれが平和で静まったものだと分かった。そして、もし彼がそれを受け入れたら、彼がその平和な状態になる事を決意したら、その状態は決して消える事はないだろうと、確信と共に自覚した。そして彼は何の努力を要する事なくその状態に入っていった。ただその状態でいようという決意をしただけで、彼はその状態にいたのである。

あらゆるものが止まっていた。彼は静寂の中にいた。彼は今や理解していた。ずっとこの静寂の中にいたのにも関わらず、未修正で蓄積された過去からの絶え間ない雑音によって、その静寂を打ち消していたのだと。実際には、その状態は静寂以上のものだった。あまりにも想像を越えた状態なので、この平安さの喜びや快さを表わす言葉がないのだ。

彼の幸せに対する最初の質問も答えがあった。幸せに制限はないが、その幸せを毎分持つようになった時、退屈する事になる。次に、この平和な状態はそれを超越しており、そのために、やらなければならない事は一線を越えて、その中に入る事だった。

「更にこれを越えた何かは存在するのだろうか?」と彼は考えた。しかし、彼が問いを発した時、彼にはその答えが分かっていた。

この安らぎは永遠に不滅なものであり、あらゆる生き物のエッセンスだった。たった1つの存在があり、あらゆるものが「それ」なのである。あらゆる人は「それ」であるのに、その真実に気づかないでいるのである。修正されないでいる過去を持ち続けて、その過去によって真実が見えなくなってしまっているのである。

レスターは、この「存在」を櫛(くし)のようなものだと見ていた。彼は櫛の根のところに存在し、そこから全ての歯が広がっていて、それぞれの歯は独立していて、他の歯とは異なっていると考えているのである。それは事実なのだが、それは櫛の歯の先から見た時の話である。あなたが根の部分、源にまで戻れば、歯が1本1本存在するのは真実ではないと気づく事が出来る。全ては1つの櫛なのである。本当に分離独立しているものはないのだ。あなたが歯の先からものを見ている場合を除いては…。全ては視点によるのだ。


レスター驚くべき自然の力を見出す

もし、それらの事が真実であるのなら、彼が選択したいかなる焦点にも波長を合わせられる筈だとレスターは考えた。もし彼が櫛全体なのだとしたら、どんな歯にもいつでも波長を合わせられる筈だと。

彼はカリフォルニアに住む友人の事を思った。いま彼は何をしているのだろうと考えた。すると、レスターはその友人の家のリビングルームにいたのである。彼はその部屋や部屋にいる人達、その人達と友人が座って話しているを見ることが出来た。レスターはすぐにその友人に電話をした。「君がどうしているかと思ってね、電話をしたんだよ」レスターは言った。「君はいまリビングルームにいて、3人の人がそこにいるね…」彼はその部屋の詳細、そこにいる人、いまその人達と何を話していたかを友人に話した。レスターは受話器の向こう側でハッと息を呑む音を聞いた。そしていま自分が話した事は事実かどうか尋ねた。

その友人は答えた。「その通りだよ。でも、一体どうして君にそれが分かったんだい?」

笑いながらレスターは言った。「オレはそこにいるんだよ。君には見えないのかい?」

長く沈黙が続いた。レスターはパニックになるのを感じ、又、いま感じているパニックは友人が感じているものだと驚きながらも分かったのである。彼はまるで友人の内部に存在しているかのように感じた。その友人と同じように感じ、考えているように感じたのである。これは全く新たな経験だった。そして、突然彼は友人に変わったのである。事実、彼は他の人全てだったのである。なぜなら、彼の核の部分は全ての核であったからである。

彼は宇宙という櫛の根に座っていたのである。彼は新しい視点を持ち、あらゆる事をそこから見る事が出来たのだ。

その友人の恐怖をやわらげるため、彼はこう言った。「おい、やめてくれよ。オレをからかってるのかい?オレがそこにいる人の事や誰が何を言ったのか話した時、君は冗談を言う権利がオレにあると言わなかったかい?まさか本当だったという訳じゃないだろう?」

友人が次のように答えている時に、レスターは友人のパニックが治まってくるのを感じた。「レスター、君はなんて奴だ。今までの話は皆君の作り話だったとでも言うのかい?」

「もちろん、全部オレが作ったのさ。オレを何だと思ってるんだい?気が違ったとでも思ったのかい?全部ジョークだよ」

「いや、実際しばらくはそう思ったよ。君が話した事は全部本当だったから」友人は今では笑っていた。

「おー、それはファンタスティックな偶然だね」レスターは言った。「さあ、君の仲間に君を返さないとね。ニューヨークに来た時は電話してよ。飯を食いにいって、またこの話をして笑おうぜ」

「分かったよ、レス。またな」

これからはもうちょっと気をつけなければと思いながら、レスターは電話を切った。人は非常に狭い条件でものを考え、非日常的な事は受け入れられない事を彼は忘れていたのだった。

突然、彼はほんの数ヶ月前の自分自身について思い出した。このような事を彼に話そうとする人間を皆狂人だと彼は考えていたのだ。何て凝り固まっていたのか、何て器量が狭かったのか、如何に制限されていたのか・・そして今、彼はこの自分の変化に高笑いをするのだった。

『私が探求を始めた時、私は非常に確信を抱いた唯物論者でした。私にとってリアルなものは見る事、感じる事、触れる事が出来るものが全てでした。私の世界はコンクリートのように頑丈なものでした。それから、この世界は自分の心の結果なのであるという事、ものには知性がなく、私たちの知性と想いは全ての物質とそれに関わる全てを決定づける事、これらの啓示を受けた時、私が以前抱いていた堅実性はただの考えだと分かり、頑丈なコンクリートの基礎はひび割れ始めたのです。今まで築き上げてきたものはひっくり返り、私の体はショックに次ぐショックを受けました。それは何日も続きました。私は神経質な老人のようにショックを受けていたのです』

『この世界を頑丈であるという視点に再び変わる事は決してないと私には分かりました。しかし、そう簡単には優雅に消えていってはくれませんでした。私があらゆる事を揺さぶっていると思うまで、数日の間、私は実際に動揺しました』

『それから、私の視点は数ヶ月以前のものとは正反対になっていました。リアルで頑丈なものは物質世界ではないと。精神でさえないと。そういったものよりも遥かに偉大なものであると。それは私の本質(エッセンス)であり、私の真の存在こそ現実で、そこには限界はなく、永遠で、私が以前自分だと思っていた全ての事、例えば体や心は、私の全てというよりも、ほんの微細な部分に過ぎないのです。その私の全てが私の存在なのです』


最後の大発見

1952年の4月、彼は静けさの状態へ入る最後の解決に辿りついた。「私が死にかけてから、まだたった3ヶ月しか経っていないのか?」彼はそう思っていた。彼にとって、このような短い期間に自分の身に起こった事は全て信じる事が難しかったのである。それは、まるで無数の転生を経たようにも、しかし一瞬の出来事のようにも思えたのである。

彼の時間に対する感覚は過激なほどに変わった。時間について彼が考える時、彼は静けさの中から、時間というものは存在しないと悟ったのである。あるのはいつも「いま」である。時間とは相対的なもので、分離した、違いのある世界にしか存在しない。彼の存在するところは、全てのものが同じであり、同じ本質から成り立っていて、同じく言葉に表現出来ないくらい美しく、宇宙の全ての粒子に備わっている偏在している平和なのである。

彼がその平和な存在である時、彼の肉体は小さく、椅子の中に離れて座っているように思えた。彼がそう選択する時、彼は肉体をそのように見る事が出来たが、自分自身を宇宙全体に行き渡っているように感じていたのである。肉体は彼の広大さの中にある極小の一辺に過ぎなかった。彼は偏在しているのだった。 旅行などはなく、想っただけで彼はそこにいたのだった。

『私は、以前自分が肉体と心であると思っていたが、そうではない事は明らかだった。ただ分かったのです。それが全てです。あなたもそれが分かれば単純な事だと分かるでしょう』

『ですから、体と同一化する事を手放しました。手放した時、私の存在はすべての存在であり、その存在は大きな海のようなものだと分かりました。大海の一滴と呼ばれるような分かれる事がないもので、全て1つの海なのです』

『それによって私は全ての生き物、全ての人、宇宙の全ての原子にさえ同一化するようになったのです。そしてこれは途方もない体験で、言葉には表現出来ないものです。まず、あなたはこの宇宙があなたの中にあると分かります。それから宇宙があなたであると分かります。次にこの宇宙が1つであると知ります。それから分離して永遠に終了し、全ての最悪な事は、分離する事によってのみ起こるのです』

『それから、あなたはこの世界の外見上の制限にまどわされる事がなくなります。それが夢であり、見せかけであると分かるのです。なぜなら、あなたの本質そのものには限界がないと分かっているからです!』

『それはとても面白い旅でした。私が経験した事が実在しているとは全く知りませんでした。心にこのような力があるとは知りませんでした。しかし、私はいかに心が私をだますか知っていたので、次のような行動原則を持ちました。「私は自分が出来る事しか知らない」 「私に何が出来るだろう?」と自分自身に問う時、私は毎回ショックを受けました。そこで、何でも出来るようになるまで実験をし続けたのです』

『私は実験を続け、素晴らしい事が明らかになりました。「もし私がこれこれこのようなものであるなら、それが出来るのか?」と私は問いかけました。「もし私は全能であるなら、その能力を発揮出来るのか?」そして、能力が私にやってきました。そして、少なくとも2人の目撃者にそれぞれ私は実証したのでした。私は物理学者として訓練を受けたからです。物理学者は、いつでも研究室に行き、実証しなければならないのです。それは良いトレーニングだったと思います』

『私が最初に行なった事をお話ししましょう。テーブルの上にコップがあり、誰かが部屋に入ってきた時、私はこう言ったのです。「このコップを心の力でテーブルの反対側まで動かす事が出来るよ。君は信じるかい?」と。もし「イエス」と答えたなら、コップは直ちに動きます。もし「ノー」と答えが返ってきたら、コップはそのまま動きません。私は他の人達に押し付けようとはしませんでした。もしそれを受け入れられない人がいたら、その人を困らせたくなかったのです。もちろん、最初からそうだったわけではありません。過ちを私も犯しました。そのせいで、私から去っていき、口を利かなくなった人さえいます。私は口を慎み、人の信念や確信の邪魔をしない事を学びました』

どんな疑いをも越えて、彼がバカにしていた力をまさしく獲得したという事を実証したら、彼はその力自体が、彼が自分自身や他の人を驚かせたり、娯楽のために、その力にしがみつき、開発しようとするためのワナだと分かった。そういった力はそれ自体が目的ではない。そこで彼は手放し、先に進んだ。後に、誰かが自分自身の限界を突破するために実証を必要とするような状況になった時、非日常的な事が起こるのであった。しかし、レスターはその力を行使しているようには決して感じなかった。彼はただ純粋な触媒として存在し、エゴの入り込む余地はなかったのである。彼はまた知性の源を悟っていた。彼にはたった1つの知性のみが存在し、私たちは皆それを持っている事を知っていた。それ故、無限の智慧、全知が皆に利用可能なのである。そして、彼はそれが同じ力であり、皆無限の力を持ち、全能であると知っていた。

全知全能は私たち一人一人の中にあるのだ。

『知性やエネルギーの源について考えていて、私はそれらも無限に手に入れる事が可能であり、その知性やエネルギーは。かつての衝動強迫、抑圧、人間関係のもつれ、コンプレックスによって自分自身への感じ方から来るものである事を発見しました』

私はあらゆる事の対象になる必要はありませんでした。この事が見えた(分かった)事は能力が以前では決してなかったような勢いで、心の背後で流れるようになりました。』

『私は、以前にこのエネルギーと、その力をダムを作ってせき止めていた事に気づきました。私がやらなければならない事は、そのせき止めている丸太を取り除く事でした。それだけです。それぞれの事を発見していく上で、私は丸太を取り除き、この無限の流れを流れるままにさせたのです。ちょうど水をせき止めている丸太を1つ1つ取り除けば、水が流れ出すように。そして、丸太を取り除けば取り除くほど、その流れは大きくなります。ですから、あなたに必要な事は、丸太を取り除き、無限のエネルギーと力を流れさせる事だけなのです』

『私が自分とは何かという事を自覚した時、あまりにもたくさんのエネルギーが私の中に流れ込み、椅子から飛び上がった事があります。そこで私は正面のドアに向かい、何時間も歩き続けました。それを何日も続けた事もあります!私は自分の体がこんなにたくさんのエネルギーを収容できないので、走ったり歩いたりして、エネルギーを消費しなければならないと感じていたのです』

『早朝のニューヨークの街を、程よい速さで、他に何もしないでただ歩いていた事を思い出します』

こういった実験を終了する頃には、彼は自分自身に、全ての客観的物理現象の源は心である事、自分自身で限界を設けなければ、心は無制限であり、それは万人にとっての真実である事、そこには例外はない事を実証していた。本質的に全ての人は、その人が意図した事や欲望は何であれ、所有し、そのように存在し、行なう能力を持っているのである。

それぞれの心は全知全能であるという実感は、彼を最終的に椅子から立ち上がらせたのだった。彼は誰か他の人に自分が発見した事を分かち合いたかった。その人自身が発見出来るように役立ちたかったのである。それぞれの人が、この信じられないほど美しく途方もない存在である事を知ってほしかった。


レスター発見を分かち合う

彼は最初に、すでにそのような方向性を見つめていると思われる人達、形而上学を学ぶグループに向った。新聞を見て、ニューヨークでは様々なグループが毎週ミーティングを行なっているのを見つけた。そしてそこに参加し友達を作り始めた。

『3ヶ月経った後、私は家からたった2ブロックしか離れていない形而上学のグループに参加しました。シェファー博士のグループです。彼は生徒達を正面に呼び出し、話をするように求めました。彼が最初に私を呼び出した時、やりたくないと彼に伝えたので、彼は私を飛ばしました』

『その時、彼が私に話をするのを求めるのを止めた時、断るのはバカバカしいと気づきました。私が人前で話をしなかった理由は、昔の癖がまだ残っていただけなのです。しかし、その癖の有効性は完全に無くなっていました。その強迫性は無くなっていて、その傾向は残っていましたが、まるで焦げたロープのようなものでした。もしあなたが焦げているロープを持ち上げようとしたら、それは粉々になるだけです。ロープのように見え、ロープのように思っても、その強さはありません』

『それが分かり、私は前へ出て行き、話をしました。人生で初めて!60人もの人の前でです。私が前へ出て行った時、あがってなかった事に驚きました。私は彼らを見て、彼らも私を見ていました』

『そして、私が話しながら、背後では2番目に起こっている事がありました。「おー!」私は考えていました。「これは簡単だ。こんなに人前で話すのが簡単な事だなんて知らなかった!」そして、これが私の人生で人前に立ち、話をした最初の経験でした』

レスターは形而上学に関する本を読み始めた。そして、彼が経験してきた事は、他の人によっても経験されていた事を知り嬉しく思ったのだった。事実、このテーマに関して入手出来る文献は多数存在する。

彼はしばしば、自分が新しい友人達の注目を集めている事に気づいた。なぜなら、彼らは自分達が求めている深い個人的経験をしている人物に今まで会った事がなかったのである。彼らはレスターがとても話しやすい事に気づき、彼から個人的な平安な状態にいかに到達したかを聞きたがった。実際のプロセスを言葉にする事は難しかったが、人と個人的に深いレベルまで話をする事で、蓄積された感情的なブロックから、その人を解放する手助けになるような言葉が見つかる事に気づいた。


レスター億万長者になる

この頃に彼が主に話していた事は、一人一人の存在の内的完璧性についてだった。彼は語りながら、心の中では他の人を完全で、全知で、全能な存在だと観ていた。その知覚がその相手に相当な高揚感を与えたのである。

しかし、彼のビジネスでの長い経験から、頼まれるとレスターは実務レベルでしばしばガイダンスを与えた。1953年に、彼は自分の業績にも関わらず、100万ドルをまだ稼いでいなかった事にふと思いついた。彼はまた、多くの新しい友人達が貧乏でないと彼らが本で読んだ自由を手に出来ないという印象を持っている事に気づいていた。彼らの多くは安らかな状態は1つの欠乏状態であると解釈していた。「物に対する執着を手放しなさい」「物によって幸せにはならない」というような忠告は、内面的平安を達成するためには、抱負やお金、繁栄、豊かさなどを諦めなければならないという意味に誤解されていたのである。

そうではなく、自由でない状態を創り出すのは、お金や物に対する執着であり、この執着自体はただのフィーリングであるとレスターは分かっていた。彼は自分自身の経験から、全てのフィーリングは修正する事が可能であり、手放す事が出来ると確信していた。そこで、ひどく執着しなくても、この世で物事を成し遂げる事が可能であり、霊的な自由は欠乏を意味するのではないという、この2つを証明するために、彼は100万ドルを手に入れようと試みたのである。それとは逆に、自由とは何でも所有し、存在し、行なえる能力を意味でするのである。しかし、その能力について話す事とは別に、実際に実行するのが能力を実証するための唯一の方法なのだった。彼はニューヨーク市の不動産で自分の主張を実証する事にした。

1953年、彼は即金なしにアパートを買い始めた。彼はそれを利益のために貸すか、手っ取り早い利益のために売る事にした。6ヶ月以内に、彼は純資産で100万ドル以上を遥かに上回る金額を手にしていた。

『私は現金なしで不動産ビジネスを始めました。そしてアパートを担保と融資で購入しました。何の努力もせず、私は、それぞれ20から40部屋あるアパートを23件買収しました。それが簡単に出来る事だと気づいたからです。

全ての契約は大変円満でなければなりませんでした。契約に関わる全ての人が恩恵を得なければなりませんでした。もしブローカーが関わっていたら、そのブローカーに全額手数料が受けられるようにしました。売主はは望む物件を手に入れる事で恩恵を受け、売られました。もし弁護士が関わっていたら、その人も分け前を得ました。あらゆる契約で関わっていた全ての人が恩恵を受けました。

あらゆる契約がそうあるべきなのです。誰かが苦しむ必要はありません。

全ての人がその契約から望むものを得るべきなのです。あらゆる人が恩恵を受けるべきなのです。

全ての売り手は売りたいと望んでいます。全ての買い手は買いたいと望んでいます。私は調和こそがこの宇宙の法則であり、私たちがその調和に波長を合わせる時、物事は少ない労力で為し得るのだと分かりました』

「次のステップは何だろう?」彼は考えた。彼は新しい理論をビジネスに応用出来る事を実証した。彼は100万ドル以上を手にしていた。次に実証を待っているのは何だろうか?

まもなく、富を蓄えることの必要性は安全保障にはならないという事が彼の頭に浮かんだ。富を蓄えても全てを失うかもしれないのだから。また、蓄えようとする要求は、自在に必要なものを生み出すその人の能力への確信の欠如を示しているのだった。それ故、彼は「たった今から、私は自分が必要としている時、必要としているものを所有する」と決意した。そしてもう1つの理論の実証を開始したのである。


レスター豊かさの理論を試す

『クリスマスの数日前の寒い日でした。私は暖かい土地に2週間のバケーションに行きたいと思いました。

ロサンジェルスはニューヨークよりかなり離れています。そこで私は言いました。「よし、クリスマスから新年の休日までロサンジェルスで休暇をすごそう」

「あらゆる事がうまく行き、手配されている」という事に自信を持って、私は荷造りをし、家を出ました。1ブロック以内で私は何年も会っていなかった一人の男性と出くわしました。彼は「ヘイ、レスター!ずっと君を探していたんだ。君に金を借りていたのを覚えているかい?返そうとずっと思っていたんだよ。君に何があったか知らなくてね」と言いました。そして私にロサンジェルスへの往復切符が買えるだけのお金を手渡しました。そのお金で切符を買ったのですが、それでその男性はすぐに去っていきました。

ロサンジェルスに着くと、古い友人に電話しようとふと思いました。電話をすると「ああ!電話をくれて嬉しいよ、レスター。俺達はちょうど新しいアパートを買ったんだ。部屋が多めにあるから、俺達の家に滞在しなよ。どこにいるんだい?」と言いました。そして彼らは私を迎えに来たのです。

翌朝、私は台所で考えいました。「さあて、参ったな。オレは車もなしにロサンジェルスにいるのか。車がなくちゃ、あちこち動き回れないな」そして私はこう言いました。「まあ、それも上手く手配される」と。そしてその事について考えるのは止めました。

次にある思いが頭に浮かびました。「バールに電話しろ」と。バールは何年か前に、ニューヨークからロサンジェルスまで一緒にドライブした事のある古い友人でした。私はバールに電話をすると、彼はこう言いました。「ずっと君の事を考えていたんだよ、レスター。どこにいるんだい?会いたいから、すぐに行くよ」と。そして、15分かそこらの内に彼は現れたのでした。

私たちはコーヒーを台所のテーブルで飲んでいました。私が何も頼んでいないのに、彼はポケットに手を入れると、車のキーを取り出し、テーブルの反対側の私のところにすべらせて、こう言いました。「君がここにいる間、オレの車を使ってくれよ。オレには必要ないからね。俺はスタジオの側に住んでいるから歩いて出勤するからさ」と。私は彼に礼を言いました。 ここでも私は必要なものは何でも手に出来たのです。

約10日後、私はニューヨークに帰りたいという気分になりました。1月3日くらいだったと思います。私はTWA航空に電話をすると、「ああ、申し訳ありません。30日間予約で一杯でございます。キャンセル待ちの名簿にも、既に30人以上の方がおりますので、そこにもお乗せ出来ません」と言われました。

私はただ「ありがとう」と言うと電話をきり、自分にこう言いました。「さあて、誰が予約を必要としてるんだい?オレが行きたいと思う時は行くさ」

そこで次の日の朝、目を覚まして、私は自分に問いかけました。「ニューヨークへ帰りたいかい?」

私は言いました。「ああ、帰りたいね」と。

私は荷造りをし、10時頃に空港に降り立ちました。そして、ニューヨーク行きの飛行機はどこか尋ね、ゲートまで行きました。一人の男性がニューヨーク行きの飛行機に乗客を搭乗させていました。私は「予約したけど来なかった人はいますか?」と言いました。

彼は「はい。一人いらっしゃいます。しかし皆さんを乗せるまでお待ち下さい。そこにいて下さい」と言いました。

彼が搭乗させている間、一人の女性が私と同じ事を聞きました。

彼は「分かりません。しかしその男性の後に並んでいてくれたら、探してみます」と言い、彼女を私の後ろに立たせました。

彼は搭乗を終え、私に向って歩いてきました。私の側に来ると、後ろの女性の腕を掴み、彼女を搭乗させました。

私としては全ては100%上手く行ってた筈なのにです!

彼は私の所に戻ってきて、唖然としました。彼は自分が今した事を悟ると、口を開けたままになりました。そこで私は彼を落ち着かせました。彼が私を落ち着かせる代わりにです。私は彼を落ち着かせてからこう言いました。「さて、次のあなたの飛行機はいつ出発しますか?」と。

「1時間以内です。ああ、今すぐのがあります」と言いました。

彼は私をその飛行機に乗せ、その飛行機は先の飛行機よりも2時間早くニューヨークに着いたのでした。それは私が初めて乗った横断する乗り継ぎのない飛行だったのです。当時、普通は少なくとも1回はどこかに着陸していました。ノンストップ飛行はまだ新しく数も少数だったのです。これはDC6が配置されている時代ですからジェット機はまだありませんでした。ノンストップで大陸を横断するのはやさしい事ではなかったのです。

その時、私は電話をきった後、「誰が予約を必要としているんだい?」と言った事を思い出しました。私はこうも言っていたのです。「それだけじゃなくて、私はノンストップの横断飛行を初めてするんだ」と。それが最初のフライトをの際、あの男性職員が私を後回しにして、次のフライトに乗せた理由だったのです。

そして、私はニューヨークに帰ってきました。お金を持たずに出発し、お金を持たずに帰ってきたのです』

後に、「私が必要とした時必要としているものを持つ」という豊かさの原則は、再び世界旅行で実証されたのである。


レスター、真実にとどまり、発見を分かち合う

1952年にレスターが心の平穏な状態へと大きな飛躍をした後、その真実に対する気づきは決して彼から去っていくような事はなかった。彼が不動産の取り引きをしようが、家族を訪ねようが、他の人に自分の経験を話していようが、彼は自分の内的平和な存在に留まったまま、その平和に気づいていた。人々は彼と共にいる事を好んだ。なぜなら彼は彼らを自分自身を見るのと全く同じように、つまり、完璧に美しく、全知全能で、あらゆる事に完璧であり、全て平和であるというように見たからである。この強力な知覚それ自体が感受性の強い人に投影され、各自がこのような存在である内的な核心部分を刺激したのである。多くの人々は、彼がいる前で自分自身のこの真実を経験し、より多く経験しようと意欲的になり、彼の経験を聞きたがった。

彼はいつも喜んで他の人に分かち合い、彼が行なってきた事に関して話をした。最初は特に骨を折ったり、その方向で宣伝をしなかったのだが、彼がいる所には、口コミで人が彼の話を聞こうと姿を現わすのだった。しばしば即席の集まりがニューヨークの東57番街のカフェテリアでコーヒーを飲みながら開かれた。

彼が全国を車でドライブし、途中立ち寄ったところで、誰かと話しを始めると、相手は興奮し、友人を呼び、その友人が友人を呼ぶような出来事もあった。やがて、彼の話を聞きたいと思う人が100人以上にもなっていた。その頃、レスターは何日間か滞在し、その場所のグループが大きなホテルの会議室を借り、彼のトークが始まる時間までには、しばしば1000人かそれ以上の人が集まっていたのである。

彼は自分のワークに対して何も費用を請求する事をしなかった。人々がお金を提供しても受け取ろうとはしなかったのである。彼は自分が必要とするものがあれば、その必要なものは手に入る事を知っていたのである。彼はそれを1度ならず実証していたし、不動産のベンチャービジネスも収益が高いまま続いていたのである。彼は何も必要としていなかったのである。

1958年、彼はカリフォルニアに引っ越そうとふと思った。彼はニューヨークのアパートを引き払い、新しいクライスラーと31フィートのトレーラーハウスで西へ向かって進んだ。最初の目的地はサンディエゴだったが、アリゾナに向けて運転している時、彼はセドナへの道路標識を見て、彼の内的な声が「そこへ行こう」と言ったのだった。

「なぜ?」彼は自問した。

「行ってごらん」彼の内的声は答えた。「そうすれば分かるよ」

赤い岩がそびえ立っている真っ只中にある静かな古い西部の町に車で入ってきた時、彼は、なぜ自分がセドナに引き寄せられたかを理解した。美と平和の感覚があまりにも強烈なので、彼はまるで自分の家に帰ったように感じていた。

彼は不動産業者に連絡を取り、隔絶された160エーカーの牧場を見せてもらった。そして、その不動産をローンなしのキャッシュで購入し、元の所有者がその土地に建てていた古い石で出来た家に引っ越した。

その土地は大変穏やかで、完全に隔絶されており、四方が林に囲まれていた。もっとも近い隣家は、牧場の入口の門の中にある小さなコテージを所有している女性を除外すると、1マイル離れていた。彼らは散歩に出るとしょっちゅう会っていた。そしてある日、彼女は街から遠く離れて一人で暮らす事が如何に寂しいか語った。話している間、レスターは、彼女は街の中にある小さな家と土地を、彼女のコテージと土地と交換したいのではないかと思った。彼がそれを彼女に提案すると、彼女は喜んで、彼女にぴったりな場所を見つけ、注文通りの家をそこに建てるという彼の提案を受け入れた。

彼はあらゆる仕事を自分で行なった。家の土台を掘って流し込み、壁を立て、屋根を乗せてと、全てを行なったのである。彼の健康状態は完全に回復され、若い男性の体力、エネルギー、スタミナを獲得したという事を遂に自分で証明したのである。家が完成した時、レスターと彼女は交換した。彼は新たに獲得した家をコテージと呼んだ。

今や、彼の牧場は完全に人里から隔絶したものとなり、彼は一人でそこに数年住んだ。1月に1度か2度、食料品や生活用品を買いに街へ出かけたが、それ以外は牧場で一人で過ごしていたのである。これは彼が今までまったく経験した事のない、大変異なったライフスタイルであり、彼はそれが気に入っていた。

しかし、彼が人々とワークしている事は完全に止めてはいなかった。しばしば110マイル離れたフェニックスまでドライブし、数日から1週間滞在したのだった。また、1960年代にフェニックスでアパート経営に投資していた。

数年後、彼は規則的にワークしているグループがあるカリフォルニアに、年に数回定期的に行き始めた。

彼を求めて、人々は彼が「自己の楽園」と名付けていた牧場に来るようになっていた。1961年、ダグ・ディーンという男性が初めてコテージにしばらく滞在するためにやってきた。ダグが去った後、しばらくして3人の女性がやってきた。その年が暮れる頃、他にも人が来て去っていった。そして、1975年までにいつも何人かの人がコテージにいるようになった。数人の女性は何年も滞在したが、ほとんどの人達は数ヶ月で心が穏やかになり、リフレッシュしたのだった。それから、この社会での彼らの生活の履歴を残していったのだった。

それは大変平和な暮らし方で、レスターは満足していた。彼自身や他の人が、そこから出入りする事は、その生活に付随したものであり、1952年に彼自身が発見した内的状態の広漠とした静けさを、かき乱したり触れる事は決してなかった。彼はこのようにして残りの人生を暮らせたかも知れないが、それは全ての人が自分自身でこの状態を発見してほしいという彼の願いには合わなかった。彼は、全てと一体であると感じていた。それをこう語っている。

『私が発見した事を、残りの私(訳註:つまり彼以外の全ての人という意味だと思われる)に発見してもらいたいと思っていました。そこで、しばらくしてから、この知識をより多くの人々に知ってもらう方法を考え始めたのです』

   終


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