6/9の下書きにあった。
足したり引いたり。


自分の在り方。
どうなっても自分には変わりない。
自分らしい。
それは何か。
自分のこうなりたい でいて、
それが認められた時?
認められたい。
誰に?
自分以外のなにかに。
自分だけでは結局力不足。
自分らしいを思いっきり楽しむ。
それが普通にできない生活。
認められてから。
誰に?
自分らしいとは嘘をつくことつかないことつかれること。
信じるとは、信じさせること。
セメントで塗りたくり固めた心臓の呼吸が不足してしまう。
それが丁度いい。
普通の針ではもう開けられなくなった。強くなった。
わたしは自分のなにかに守られている。
自分で自分の前を向かせられている。ルールが次々できる。
あたしは、あたしよ。
これがあなたなのよ。
そうか、そうだね。
これも楽しいね。

こういう自分もあるんだね。

芯まで染み渡る悲しいすらも、数十分ではあたらしい芽になっている。
いい肥料なのか、悪い肥料なのか。

外から見れば透明の膜に守られていて何も見えないですからね。
まっ白なとっても綺麗なものも、一ミリの汚れの方が目立って、目つけられてしまう。
悲しいね。
でも、あえてだとしたら。
してやったり。
そう思う。
色々な人がいるなぁ。
自分の在り方とは。
本にもどこにも書いていない、当たり前だ。
変わり続ける事。
それだ。
そうかな。





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