ダンスとわたし | 天使のエッセイ

ダンスとわたし

 

人間誰もに大好きなことがあったりするものだけど、

 

わたしにとっての大好きなことは、

 

他の何でもないダンス!

 

 

 

そもそもわたしと同年代の昭和の日本人女子は

ダンスに憧れる人が多かったけど

 

わたし自身もそんな一人だった。

 

 

 

もともと性格的にはダンサー的ではなかった。

 

 

子供の時に習いに行かされたモダンバレエ。

 

嫌いではなかったけど、女の子たちの波動がきつくて

心地悪かった。

 

 

塾へ行くことを理由にバレエをやめたときはちょっとほっとした。

 

 

 

大学に入って、モダンダンス部に入った。

 

 

うまい子を見て、わたしももっとうまくなりたいと思って、

クラシックバレエを習い始めた。

 

 

ところがそのクラシックバレエが面白すぎて、

そっちにどんどんはまっていってしまった。

 

 

 

3、4年後にはパ・ド・ドゥを踊ったり、

外の舞台の端っこに出させてもらったり、

ティーチングもするようになった。

 

 

以前から憧れていたタップも少し習った。

 

日本バレエ協会の公演だとか、たくさんのパフォーマンスに参加して、

クラシックバレエ、モダン(コンテンポラリー)ジャズ、タップなどを踊った。

 

 

 

そして1992年に1か月ちょっと、初めて一人でニューヨークへ行き、

魅了されたわたしは、2年後、1994年に学生ビザを取って渡米した。

 

 

ニューヨークではいろんなスタジオへ行き、

いろんな先生のいろんなクラスをとったけど、

 

メインにしていたのはニューヨーク・バレエ・インスティテュートという

ロシア人の先生のスタジオで、

 

付属のイリヤ・ガフト・ダンスシアターというカンパニーで踊った。

 

 

眠りの森の美女の3幕の赤ずきんはわたしのレパートリーで、

とても背の高いウクライナ人男性とコンビを組んで踊った。

 

 

そこでは親友の日本人女性と出会い、

 

その後、彼女と二人でパフォーマンスを創ったけれど、

 

指導にはあの世界のプリマドンナだった

エバ・エブドキモワを交えるという豪華さだった。

 

 

 

ところがその後、

ニューヨークでダンスでやっていく道を見つけることのできなかったわたしは

 

ダンスをやめてしまったのだった。

 

 

 

「自分のダンサー時代は終わった」

 

そう無理やり納得しようとし続けてきたけれど、

 

舞台やリハーサルの夢ばかり見ていた。

 

 

 

「もう一度踊ろう!」

 

 

そう強く思って踊りに復帰したのはそれから15年近くも経ってから。

 

実は今からたったの一年半前。

 

 

 

わたしは引っ越し先の近所にあった

ニエベス・ラテンダンス・スタジオの門をたたいたのだった。

 

 

それが大当たりだった!

 

わたしはそこでたくさん踊り、パフォーマンスに出演し、たくさんの仲間を作った。

 

 

自分よりはずっとずっと若い人たちがほとんど。

 

スタジオのオーナーのニエベス自体がまだ30代半ばで

わたしより15歳以上も若い!

 

でも不思議と違和感なくとても楽しく踊れた。

 

 

 

わたしは結構踊れたし、とにかく休まずにクラスやリハーサルにもくるし。

 

また、わたしはラテンダンサーには珍しい軽量なので、

空中に投げ上げたりの大技にも使えるからか、

 

去年2019年の終わりごろ、

スタジオのダンスチームに入らないかとニエベスに言われた。

 

 

あれはわたしにとって人生で最も幸せな一瞬だった。

 

わたしは「もちろん!」といって、嬉しくて思わずニエベスに抱きついた。

 

 

 

悲しいことにわたしの夢はかなわなかった。

 

癌を患ってしまって、踊ることができなくなってしまったから。

 

 

もしも奇跡が起こって、また踊れるようになったら、

 

若者たちにポーンと空中に投げ上げてもらいたい。

 

 

すごく気持ちいいだろうなあ・・・💗