ヌードのヘッド画像 | 天使のエッセイ

ヌードのヘッド画像


二つ前の記事に、

このブログは実はヌードの写真から始まったっていうお話を書いたけど、

あの記事が原動力となって、
ついにこのブログのヘッド画像を最初のものに戻した。

自分自身がヌードでベッドに横たわる写真。


(・・・・・とはいっても、ちょっと絵画ふうに手も加えてあるので、

生々しいヌードではなく、
幻想的な感じのする素敵な写真だと思うのだけどドキドキ



実は何年も前からヘッド画像をこれに戻したいと思っていた。


やっぱりこれが一番自分のブログらしいと思っていたから。



それなのにずっと戻せなかったのはなんでなのかなあ?


久しぶりにネットでつながった昔の同窓生たちなどから

ジャッジされると思っていたからなのかしら?



わたしの育った時代の日本では
わたしみたいなものの考え方ってぶっとんでいたからね(笑)




で、ヘッド画像を変えてみると、


「やっぱりこれですよ!」


・・・・・・って感じるわけで、

それならばしっかりとこれでいこう!・・・って思います。



今年の誕生日頃に戻せればって最近考えていたので、

それがかなえられてよかった!




また、この画像を探している時に、

昔使ったその他の画像もたくさん出てきてね。


そういう写真も
記事の内容に合うものならば、

もう一度シェアしていってもいいかなあと思ったりもしました。


最初はそれはもうしないつもりでいたんだけど、

見てみるとやっぱり結構きれいでね。




わたしが人間の体にこれほどまでに美を感じるのは

多分ダンサーだったからだと思うのね。


体をツールとして使う芸術に自分を入れ込み、

一日中、自分自身や人の体を眺めながら暮らせば
体に対する感覚って自然とそんなふうになっていくのだと思う。


それはある意味、
体をエッチなものとしか取れないよりはずっと健全だとも思うの。



けれども昔はそんなわたしの感覚がわかってもらえなくてね。


わたしはぶっ飛んだ、超変わり者って思われて、

引かれるだけだったね(笑)




けれども、今の若い子達の多くは
結構みんな平気でビキニ姿でも、時にはヌードでも

人目にさらして自己表現をするけれど、


それを見ていて、必ずしも

「よかった」と思えないことも面白い。(笑)


「見せる」意図に違和感を感じるからなのかな?



なんかあまりの恥じらいのなさを感じると、

正直、

「日本人よ、慎ましやかさを一体どこに置き忘れたのか?」

・・・・・なんて思ったりもするわけね(笑)


欧米人にはあまりない
日本人の慎ましやかさや、ちょっとした恥じらいは、

実は結構魅力的でセクシーだったりもするから。ドキドキ



・・・・・・とはいえ、

たとえば
完璧な容姿をした美しいスーパーモデルに限らず、

すべての女性(人間)に
自分の体の美しさを楽しむ権利があると思うから、

それをオープンに恥じることなくできるようになってることは

やっぱりいいことだと思うべきなのだろうなあ・・・・・・ラブラブ



などと、「ヌード」を通していろいろ思った今日。





それでは最後に一枚だけ昔使った写真をシェア


(さあ、これを美しいととるか?エロいととるか? 笑)