ここ最近の何日間かで

いろいろ思うところがありました。


仙台のレギュラーラジオの

スタッフ2人共、サンダーソン角ちゃん

番組収録で会った。


高速バスで何時間もかけて来てくれたわけ。

サンダーソンはあの地震以来、

もう2回目の東京行きの高速バス。

勿論収録の為だけに。


角ちゃんは前回、訳あって来れなかった。

角ちゃんが来れないなんて、よっぽどのことだった。







僕もまだ実際は肉眼で見れていない、

ニュースやYOUTUBEで見る東北の様子。


それはなんだろう、ニュースの為の

ニュース映像でもあったのかな。


実際に見てもないのに

見慣れてたらいけない。






先週の角ちゃんの顔は終始、

何かをふっきる為であろう、

とっても人間らしい、愛おしい表情をしてた。

番組中も収録の休憩時間も変わらず。


見守るサンダーソンも同じく。







極端に言えば多分さ、

経験に襲われた者に対して

まだ経験してない者がモノを言う、

全ての殆どは不謹慎なんだよね。


もしくは未経験者は

経験してしまった者の事を完璧に理解するのは不可能ともいえる。


でもまだだからって気にしない人も変。


経験なんて生きてる限り、

年齢さえも問わず、順番に襲って来る。


経験してない、したくないでは無くって

いつか必ず襲ってくるものだと

ある意味平等です。



時にそれに耐えられるようになってからだったり。

時にはそれより遥かに容赦無く早くだったり。



経験した人は、それについて

思うことをはっきりと言えるようになる。

経験した人は、それについて

思うことを口に出さないでいられるようにもなれる。







ちなみに僕に今の生活はミュージシャン。


何歳かの時、これで人前に立てる事を望んで

まだ今はそれを続ける事を自分で毎日選んで望んでる。


特徴的な日々の状況、

「常に自分以外の目や耳や想いも感じながら音楽と共に表現する事」

という部分。


その他は他のどの職業とも異ならずに。


これを継続するには、

勿論大いにポリシーだとか

ポーズだとかを貫く副産物的な部分もセットでついてくる。


笑っちゃうくらい自分が滑稽な瞬間も感じてる。


特別な職だと思ってたけど

やってみたらそうでもないのかもしれない。


こう思うのも今まである程度経験に襲われたからなのかも。


まだまだだけど。






僕の職業で生産したモノは、

人の経験をフラッシュバックさせたり、

軽くさせたり忘れさせたり、増幅させたり他にもいくつか。


でもある部分での経験が少ない人には

そのある部分で響きにくいことも多く。


曲にはメロディーだって、

おまけに歌詞だってあるのに響かないのは

どこか申し訳ないし心苦しい。


多分いろんな経験に襲われたほうが沢山作れるし聞こえる。






だけど、経験が襲って来る期限は少ない。


きっと全員そう。






今僕は黒夢の人達。


それにサッズというバンド。


そして清春という人。






僕も全然同じくそう。






で、欲望はそのあとでその都度やってきたら美しい。



「…たまにはぐっすり眠りたい。


遊んでたい。


まじめにしてたい。


好きな様に生きたい。


沢山買い物したい。


すぐにでも遠くへ行きたい。


人に左右されるのは嫌だ。


誰かに愛されてたい。


ダメでも後悔はしないな。


更に気持ちよくなりたい。


支えになれて幸せ。


若くいたい。


あと3時間位まったりしたい。


人に怒ったりとか面倒だな。


そろそろ帰りたい。


自分の力でやりたい。


あとどれくらい大好きな人に会えるのかな。


だったら必死になって思い出とか作んなきゃ。


今日ライヴしたい。


親孝行したい。


冷静なままでいれたらいいな。




…とか。」






みんな本番はたったの一回だけど

もしかしたら途中で気が付くタイミングだったら

結構何回かはあるよね。


気が付くタイミングで強烈なのは

必ず自分が経験に襲われた時。

で、そのあとのどうしようもない欲求。





角ちゃん、ここ何日かは久しぶりにいろいろ思えたよ。





黒夢、目の前にあるのは初の名古屋、

成功させたいレコーディング、

絶対行きたい仙台、

「アロン」、

名古屋と初の大阪、

またずっとレコーディング。