いろんなサインがあったのにの続きです。
継母になる前、私がよく自分に言い聞かせていた事があります。
それは、
”○○を我慢出来ないようなら継母になんてとてもなれない”
という事です。
※○○というのはその時にあった辛い事や悲しい事や理不尽な事です
私はこの結婚を両親に大反対されていました。
友人達や私の事をよく理解してくれていた妹までもこの結婚には反対しました。
どの人にも、
”継母なんて絶対に苦労が多いに決まってるから幸せになれないよ”
と言われました。
(今思うと本当にその通りですね)
でも私はやはり継母になりたかった。
(継母になりたい、というよりは夫の妻になりたかった、という方が大きかったのだけど)
だから反対している人達に継母になる事を認めてもらうためにも、
たとえ辛い事や悲しい事や理不尽な事があっても我慢しよう、
そう思ったのです。
前回の記事でも少し紹介しましたが、
こちら↓の記事の中に”我慢しなければ”という思考が綴られていました。
実はこの時、この文章以上にショックを受けていました。(サラッと書きはしたけれど)
甘え、だとしても、それはもうヒステリックに攻撃されて、本当に辛かった。
そしてそれ以上に辛かったのは、
その場に夫や義父母がいたのに誰も継子長男をたしなめようとしなかった事。
(よくありがちな「だめよ~」みたいなポーズすらなかった)
正直、この人達、狂ってる、と思いました。
けれど、やはり我慢しなければと思い耐えました。
記事中の、
”こんなことで嫌になっていれば、とてもお母さんなんて出来ないからです”
という一文が物悲しい・・・
それからも何度もいろんなサインがありましたが、
そんな理由でそれらをすべてスルー(我慢)していきました。
そしてそのまま約10年我慢し続ける事になるのです。
(今は我慢しません)
思えば、これが結婚生活を象徴するような場面だったのかもしれません。
継子長男は人の立場になって考えられない。
夫はことなかれ主義。
義父母は継子達を溺愛。