本当に断腸の思いでした。
1988年製のアンプとスピーカー。
本物ですね。
民生品に本物がある。
ヤマハNS1000x
NS1000Monitorというスピーカーがベースになっていますが、ウーファーがカーボンになっており、より、ハイスピードな反応をするようになっています。
ツイーター、スコーカーはベリリウム。
相当に鳴らしにくいスピーカーでしたが、最後に、山水の1111 MOS Vintageにたどり着きました。
水と油のような山水とヤマハ。
しかし、実にすばらしいタッグなんです。
今回、実家に眠っていたこの80年代のお宝をヴィンテージオーディオを扱う店に買い取ってもらったのです。買い取り価格はまだ分かりません。
正直、大した額にはならないでしょう。
しかし、良いのです、良い店を通じてよい人に渡ってほしい。
都内の住宅事情ではとても鳴らせない代物なんです。
眠っていた名機。
このままでは本当に死んでしまいます。
毎日鳴らしてくれるところに行ってほしい。
アンプの寿命は、コンデンサーの劣化で決まってしまうでしょうから、残念ですが、修理部品がないでしょうし、それほど長くはないかもしれません。
スピーカーもウーファーのエッジ次第かなぁ。
業者さんが来るまでの間、わずかですが、鳴らしてみたのです。
本当にすごい音、いや、素晴らしい音楽でした。
さようなら。
LPレコード95枚と一緒に引き取ってもらいました。
オーディオの領収書が出てきました。
びっくりです。当時の手取りの数か月分をキャッシュで払っていました。
そういう時代だったのでしょうねえ。
将来に何の心配もない時代。
なかなか今の時代に、そんな買い物はできないと思います。
ですから、市場にも、そんな未来を期待したような商品な存在しなくなってしまった。
時代を否定的とらえても仕方がないとは思います。
しかし、ビンテージというものが流行ること。
これは、とてもまずいことでもあります。
誰しも古いものが欲しいわけではないのです。
新しくて同等のものがあればそれがいいに決まっています。
特に電気製品です。
あまり古いと危険が伴うのです。
だから、しっかりと整備して売るところに引き渡したのです。
今LPレコードが見直されているそうです。
CDへの移行期、ノイズがほとんど聞こえないCDのクリアな音質に感動しました。
しかし、なにか、抜けているものがある。
アナログとデジタルの違い。
これは、写真についても感じるものがあります。
量子化、つまり、実際の量を0と1に置き換える符号化の過程で、抜け落ちてしまうものがあるのです。
しかし、正直、とても素晴らしい再生機器があって、はじめて、この違いがわかるのだと思います。
簡便な装置であれば、デジタルのほうがいい結果が出る場合が多いと思います。オーディオに限らず、写真でもそうだと思います。
今、名機を手放してLPだけを残しておいても、満足な結果が得られないだろうと思うので、一緒に手放すことにしたのです。
しかし、過去の思い出までも一緒に手放してしまうような寂しさに、心が痛みました。
さようなら、輝ける時代。
しかし、単なるノスタルジーなのかもしれない。
過去を美化しているだけなのかもしれません。
過去にとらわれている限りは前には進めない。
過去を美化し、現代を否定するようではいけない。
自分に与えられた時間と小さな世界の中だけでも、次の世代に引き継いでいくものを作り上げていく責任があるのではないだろうか。
そんなことも思いながら、お別れをしたのです。