私の命を君に上げよう | クジラ怪人の琉球釣り日記

クジラ怪人の琉球釣り日記

2011年3月11日
世界は変わってしまいました。

現在進行中の危機への対処を考えていきたいと思ってはいるのですが。

正直、うまい回答は無いのが現実ですね。
一緒に考えていきませんか。
少しは何かできることがあるんじゃないでしょうか。

今まで見たTVドラマで、何が一番印象深いセリフだったかというと、絶対にこれです!


私の命を君に上げよう。


ナニ、命をくれる?


命のやり取りっていうけど、どうも、宇宙には命をやり取りできる人種?種族がいるらしい。


ウルトラマンの第一回。


ウルトラ作戦第一号


科学特捜隊のビートルが、脱走した宇宙囚人べむらーを追うウルトラマンの宇宙船と衝突。


若きハヤタ隊員は死んでしまう。


ハヤタを助けるために、ウルトラマンは自分の命をやる、というよりも、一心同体となって、ひとつの命で、二人の人生?が始まることになる。


ところで、何度も不思議に思うのが、最終回で、ハヤタは、ウルトラマンと一心同体だった時の記憶がないのだ。


となると、ウルトラマンは、ハヤタを生かしていたというよりも、ハヤタの体を使って地球上で生き延びただけ、ハヤタは、地球上では、ウルトラマンの宇宙服だったという事になる。


そして、ウルトラマンに変身すると、活動時間が著しく短くなる。


意識がないのに生きていたことにはならない。


意識がない=死である。


つまり、私の命を君に上げよう、



実は、君の体を私に貰おう。


た、正しい。



なんてやつだ!


囚人護送が嫌になった下級官吏が、辺境の惑星でヒーローごっこをするために、業務上過失致死で殺してしまった地球人の体を、宇宙服に使っていたのだ!


そして、最終回では、なんだか、上司だか、仲間だか知らんけど、似たのが出てきて、スペアタイヤでも積んでるかのごとく、私は命を二つ持ってきた、と、気前よく、一つをハヤタにやってしまう。


どうも、ハヤタがウルトラマンだった時代を覚えていないっていう部分の解釈によって、この物語の意味がまるっきり違ってきてしまう。


たとえば、無表情なハヤタだが、たまに、人間らしい茶目っ気があったりもする。

インドからやってきた可愛い科学特捜隊員と誰が行動を共にするかなんてのをくじで決める時に、全部はずれのくじを作って、イデとアラシを出し抜くハヤタ。

これなんて、宇宙人にはちょっとないセンスだと思う。

実に人間的である。


ドラマの中のハヤタはとても没個性的で、超個性的な、イデ、アラシ、が、物語部分の大部分を作っている印象がある。

この辺りが、セブンとの違いで、もろ、宇宙人が化けているだけのモロボシダンは、実に、地球人的である。ソガ、アマギ、という目立たない存在に比べて、圧倒的にドラマ部分でも、ダンが主役になっている。

しかし、フルハシは、アラシと同じキャラで、責任感が強くて、体力勝負の純情なキャラで、セブンでも、ドラマの主役を取ることがあったと思う。

セブン暗殺計画でも、もてない男が意外にかっこいい女の子と付き合いがあって、フルハシのGFがいなければ、セブンは助からなかったかもしれない。

北へ帰れ、は、セブンの傑作のひとつである。


ところで、いつも思うのだが、今の時代のTVドラマに、ここまで、印象深いものってあるのだろうか?


ところで、私にとっての永遠の謎、


1.ウルトラマンは、一心同体の時のハヤタを単に宇宙服にしていたのか?


それとも、


2.ウルトラマンとハヤタの二つの意志があったが、ハヤタが人間だけの存在になった時に、巨大化して怪獣や宇宙人と戦ったなんて記憶があると、その後の人生に支障がある、もしくは、うっかり、それを人に話して、●基地扱いされると可哀そうなので、記憶を消去したのか?


どちらだと思いますか?


もし、当時の記憶がある方がご覧になっていたら、コメントでどちらかを教えてください。


もしくは、1 でも、2でもない解釈があれば、それも教えてください。


その後のウルトラマンで、一心同体になるのは、おそらく、帰ってきたウルトラマン、で、郷秀樹には、完全な郷秀樹の意志があり、なにが、びっくりって、最後には、郷秀樹を連れて、ウルトラマン、地球を去っちゃうんですね。

あれって、ひどくないですか?

ゾフィーも出てきたんですから、どうして、命を上げないんですか?


で、ウルトラマンマックス。


これは、カイトが操縦するダッシュバードが墜落する寸前にウルトラマンマックスが助けたようなんですが、どうして、カイトに乗り移ったのかというと、完全に宇宙服代わりなんですね。


これって、迷惑じゃないですか?


戦って死んでしまうと、両方死んじゃうんですよね。


で、最終回で、マックスはカイトの命だけは助けようと、分離する。


でも、最後にカイトは、俺もウルトラマンマックスなんだと叫んで、マックスに合体する。


あれは本当に感動したなあ。


だって、カイトがいなくても、ウルトラマンマックスのはずなんですが、カイトが一緒になっているのが、実はウルトラマンマックスだった。


どうして、この名作が、それほど評価されないで、その前後のどうでもいいような、自閉症の作ったようなウルトラマンにファンが多いのか理解できません。


私の中のゴジラのベストが、初代を覗けば、VSビオランテであるように


私の中のウルトラマンは、初代を覗けば、マックスが一番です。


ということで、夜更けのオタクトーク、ひとまず、終了です。