生きること。 | おまけの人生

おまけの人生

ヤッホー

黒岩卓夫さんの講演会にいってきた。

この人間社会が黒岩さんの目指す社会であるのなら、
現実社会から逃げて生きること無く満たされた人間生活を送れると思う。

実際はこんなに面倒臭く絡み偏ってしまった社会を変えることなんかできないと思っている。
原点を変えることに等しいから。根っこが腐っているから。
そして腐った上に、誤った方向に芽が伸びていき、もう歯止めが効かない。

それでも闘い続けている地域医療の方々はほんとに素晴らしい。
すごいなと思う。私にはそれに尽力する勇気はないから・・・。

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講演を聴いて感じたこと:
・病と老と死はあたり前にやってくる避けられないもの。だからそれらを受け止めて生きていく。
 現実は、病老死に怯えて闘うことが、人の生き方としてあたり前に思われている。

→「病」であってはいけない
=健康でなければならないと考えている。
=障害は持ちたくないと考えている。
*現実は、病気、難病、障害を持って生きる人への偏見のある社会となっている。

→「老」いることを嫌う。
=シワ・シミ・禿げ・白髪が嫌だ、恥ずかしい。
=ボケたくない。
→ボケている老人はダメな人間というレッテル。老人を馬鹿にする文化。
→アンチエイジングの整形。いつまでも綺麗な肌。仮面のような化粧。
→シミ・シワ・禿げを隠す。消す。
→老いることは恥ずかしいと拒絶する社会。
→美肌などの見た目の美しさを奨励する多くの企業・雑誌・一般的な人間の価値観
*人は老いるもの、それを隠そうとする文化。老いることの美しさが最も美しいのに。

→「死」にたくない。
=何がなんでも生きたい。何がなんでも生かしたい。
*現実は、ただ死を怯えて生きる。死にそうな人に対して、生きさせようとする。死ぬ直前にだけ優しくしたり、手厚い介護を行う。生きているときに優しさ・温かさがあれば、死期は延びていただろうに。人は死ぬものであり、死に向かって今を生きていることを知っている人間はどれだけいるのか。

・認知症になった老人は全てを忘れたのではない、新しい何かを考えている。周りは彼が考えていることを受け止める。馬鹿になどすることはありえない。「実家に帰る」という認知症老人は、実家には、安らぎ・楽しい思い出など特別な良い想いがあるため、そう言った発言はあたりまえ。その気持ちを否定するのでなく、受け止めて本人の気持ちが満たされる様な周りの関わりが大切。

・大地の子。Dr.は地域の子(日本人ではない)。私は山の子。山屋としては気になった言葉。
200年も歩いてきた道は、たったの2年で草木が生い茂って無くなってしまった。自然とは凄い、大きな力を持っている。よく人は自然災害で騒いでいるが。
→自然災害だと言って騒ぐことは理に叶わないと思わないのか。自然の偉大さを人間は馬鹿にしている。地に足をつけて歩いてみると良い。どんなに人間がちっぽけで、わがままで、自分勝手な生き物かがよくわかる。土の上をしっかり歩いた人間がどれだけいるんだろうか?田舎の者、昔の人間なら生活の中での自然の厳しさを理解し自然を受け止め生きることができていた。今は自然は絶対的な敵と考える人が多い気がする。自然無しでは生きられないのに。

・迷惑を掛け合える社会。
→この人になら自分のミスでちょっと迷惑かかっちゃうかもしれない、だけど、
私のことを分かっているから、ま、いっか。という関係は、マイナスの面でもありのままの自分を認めてくれる人がいる。それが居心地の良さなんだろうと思う。

・医療が社会の上にあるとはありえない。社会の中に医療がある。看取りは医療じゃなくて、地域文化。だから、問題も希望も、人間の社会のすべてということだから、全てが変わらなければ意味が無い。
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医療だけでは人の健康を支えることはできない。病気、老い、死、全てが生きることそのものに関わる。そして生きることとは、その地の文化や歴史そしてその地の自然環境に関係してくる。
特に厳しい冬の寒さや大雪などは、その地の文化や歴史と生活そのものに大きな影響を与える。方言だってそうだ。東北の人が訛りが強いことの一つに、厳しい寒さのために口を大きく開けることができないためどうしても訛ってしまう。大雪なら雪下ろしは欠かせないものだし、冬になれば雪囲いをして春になれば取り外す。雪が消えたら田植えの時期で、夏は自然を読んで時には自然と闘い生きるための食物を育てる。冬になれば田畑は雪で覆われ、夏に収穫した食物で越冬するか出稼ぎに出る。
医療者として人を診るということは、その地で生きている人間を診るということ。それには、その人の生活を知る必要があり、その地域における文化・歴史・自然を理解する必要がある。

それに対して、自分は医療者だと威張る人、自分は看護師で他の人間とは違うということをアピールする人が多い。特に看護師には多い。ちっぽけな世界だ。そのちっぽけな世界ちっぽけな決まり事の中でこだわって生きている、プライドで生きている人間と関わり、ヒエラルキーの強い、古いものを絶対と思い守ろうとする看護の世界で、黒岩さんのような考えをもって生き残れる看護者がどれだけいるか。

黒岩さんは、60年安保闘争で活動された方であり、そのくらいの変革を求める闘争心のある熱い人間でなければやり遂げられないことだと思う。

歴史・文化・生活、それら全ての原点にあるのは自然であり、私は自然の中で、闘うのではなく、生きていきたい。現代の面倒くさいちっぽけな世界を変えるために生きようとする力はもうない。この短い人生の中でより深く関わるために、より自然の深い懐に入るために、そしてそんなちっぽけな世界にストレスを抱えて時間だけが過ぎていってしまわないように、もう時間を無駄にしたくない。だからこうやって生きるしかない。それが地域医療とか人間社会に関わる研究やらに一歩踏み出そうとする勇気には繋がらない理由。もしできるとしたら、自然と生きるとはどういうことなのか、自然とともに生きることはどんなに素晴らしいのかについて伝えていきたい。