もう30年以上前

その日は突然やってきた。 

 

大阪の警察からの電話。

「もしもし、〇〇でございます。」

「〇〇さんですね。・・・」

 

その後の言葉ははっきりは覚えていない。 

 

朝、元気に大阪に出かけた義父が

梅田の地下街で倒れ

救急病院に運ばれたとの知らせ。 

 

驚かせないようにとの配慮だろう。

 

ゆっくりとした落ち着いた口調で

運ばれた病院と

すぐに必要な人に知らせて

来るようにと伝えて下さった。 

 

義母は兄弟と大相撲春場所を見に

大阪に出かけていた。 

 

まずは夫に電話して伝える。

 

その後、義母、夫の姉妹など

必要なところに連絡を入れて

夫を待ち現地へ向かった。

 

駆けつけたときには既に意識のない義父の姿

その頃長男は4歳、長女3歳

内孫であり跡取りだと思っていた長男を

とても可愛がってくれていた。

 

倒れる前日も自転車の後ろに乗せて

走っていたと後から聞いた。

 

子どもを病院へ連れて行くと父は涙を流した。

 

それは偶然だと言われたけれど

お医者様はわかってはいないと

おっしゃったけれど

きっとわかっていたのだと今も私は思う。 

 

 

くも膜下出血だった。

まだ60歳・・・

 

すでに夫も私もその年齢を越えた。

本当に若かったんだと今更ながらに思う。 

 

おそらく助かりはしない

あと数日・・・と云われ

付き添う者、

家の片づけをして

つまりは告別式の準備をしながら

子守りをする者、

 

当然私は後者で・・・。

 

まだ片づけていなかったお雛様を

片づけながら・・・

それが告別式の準備であることがとても悲しくて

涙を流しながら片づけたことを覚えている。 

 

一緒に過ごしたのは僅か5年ほどだったけれど

孫をとてもとても可愛がってくれた。 

 

義母の入院手術と私の出産が重なり

年子を抱えてぎっくり腰になり

大変だった頃も色々助けてくれて・・・ 

とても優しい人だった。

 

孫の姿を目を細めながら

嬉しそうに見つめている様子が今も眼に浮かぶ。 

 

 

寿命というものがある。

潜在意識では分かっているのかも知れない。 

 

 

後から振り返ったり

人に聞いてわかったことがある。

 

いつもは言わないことを言っていたり

直前にあまり普段は行かない

親戚に挨拶に行っていたり

そんなことが色々あった。

 

 

祥月命日は月参りで拝んで頂いた。

お雛様は片づけずに✨

 

 

おとうさん

もう、ひ孫が大きくなって

元気に賑やかにしています。

 

お雛様の前でみんなでお祝いしましたよ💖

おとうさん おかあさん ご先祖さま

ありがとうございます。