体にイイ事ナビゲーター★マモ★です♪
先日、ファスティングマイスター学院の1年に1回の大イベント。
ファスティングフォーラムへ出席してきました。
協会の中でもまだ20名もいない
ファスティングマイスター・プロフェッショナル(1級)
に合格していましたので、
その表彰もして頂きました(^O^)
お恥ずかしながら、大勢の前で少しだけスピーチもしてきました。
1級の試験、本当に大変だったんですよ(;´▽`A``
そのご褒美だそうです(本当に褒美になってるのか??w)
こういう話の流れになると、必ず聞かれることがあります。
【なんでそんなに勉強してるの??】
ってね。
そういうときは、
TPOに分けて手短に答えていますが、今日はこの【知識】について
私がいつも思っていることを書いてみます。
人が勉強する理由、知識を身につけるお題目は
・収入を増やしたいから
・頭いいと思われたいから
・資格試験にパスしなくてはいけないから
・健康になりたいから
などなど、いろいろあるとは思います。
深~い目的から、どうでもいいようなこと。
いろいろありますよね。
でも結局、知識というものは
『選択の幅をひろげる』ということだと思います。
日本は比較的自由がある国です。
でも、それが故に、『選択させらる』危険性も多分にあります。
テレビがいい例ですね。
知識がないと、自分の判断ができず
『この●●ヨーグルトが体にいいよ!!』
って、みのもんたに言われるとすぐに飛びついてしまうのは
選択するだけの知識がない人間のすること。
こっちの水が甘いよ~~~♪
って言われて飛んでいくホタルですw
『あの人がいいって言っているから。』
というのを選択基準だと思っている人が
日本にはなんと多いことか!!
自由を失っているのです。
自分で決めているようで、決めさせられているんです!
逆に。
『そんなこと、知らないほうが幸せだった。』
って案外よく聞きますが、
知らない方がいい事なんて、ほとんどありません。
(結果的に良いことはあるでしょうけど。)
この知らないほうがいい、という発想の原点は
『どうせ変えられない。それなら知らずに暮らしてたほうが幸せ』
という観点がほとんどなんですよね。
それってすごく危険な考え方だと思いません?
こっちの水のほうが甘いんだよ~~って教えてあげても
『え~、そっちに行かなくちゃいけないの。。面倒だな(行けないな)』
というホタルです。
Tokioは『宙船』でこんなふうに歌ってます。
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをあずけるな最初から変えられない、と諦める姿勢。
それは誰かも分からない人間に『オールを預ける行為』です。
食品添加物の第一人者である安部司先生も
必ずこう言います。
『食品添加物がどれくらい体に悪いかは分からない』
『昨日までいいとされていたものから発がん性が見つかることもある』
『でも、食品添加物にはたくさんのメリットもある』
そんな中で、自分で学び選択し、
自分で責任を取ろうね、と。
もちろん、すべてのことを学び判断することはできないので
誰かに『このコースだけは漕いでね!』って
お願いするのはアリだと思います。
でも。
誰に頼むか?という知識や信頼できる仲間がやっぱり必要です。
そして、一旦オールを預けた以上は文句は言えません。
預けるのも預けられるのも
それなりの”覚悟”が必要ということなんです。
正しいか間違っているか?ではありません。
自分なりに考える判断ができる。
それが大切なんです。
最後に。
宙船の歌詞をもう少し引用してみます。
その船はいまどこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか
流されまいと 逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをあずけるな
その船は自らを 宙船と忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこが船の離陸地点
すべての港が灯りを消して 黙りこんでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをあずけるなたくさんの船が離陸してくれることを願います♪