まず。今日は母方の祖父(母の父)の命日でした。
私が二十歳になる年の始めに亡くなったので今年でもう11年。
肺ガンでした。

成人式の写真見せにまた来るから
家のベッドで横になっている祖父に「じゃあ、またね!来るからね、またね!」と手を握って別れたのが最後で。

その頃、母は看病の為に帰っていて付き添っていました。
危篤状態だと聞いて当時学生で試験の日だった私はその試験の先生に真っ先に相談に行って「今回の試験、辞退させて下さい。単位に響くのは分かってます。おじいちゃんが危篤なんです、会いたいんです」と訴えて、たまたまその先生は元々親切な優しい先生だったので「試験なんて気にするな!追試の事考えておくから!早く行け!!」と背中を押してくれて、友人にも支えられて学校を飛び出て、会社を早退した父と新幹線の切符売り場で待ち合わせする事に…その矢先、母からメールで「おじいちゃん、亡くなりました」と一言入り…父と待ち合わせして新幹線に乗ってからコートを被って3時間弱ずっと泣いていました。

外は豪雪。タクシーで実家に向かってその間に「今年はずいぶん雪降っててねぇ」と。
家に着いたらおじいちゃん眠ってて冷たくて。
その場で泣き崩れてしばらく立ち直れずにいたら、母が言ってくれました。
「もうすぐ、まい来るよ!」って言うと少し頑張って息したの。苦しいはずなのに分かるんだね、ちゃんともうすぐだからって何回も言って何回も頑張ってたけど…ダメだった…と。
それを聞けただけでも私は報われたような気がしました。
看取れなかったけど、モルヒネとか使ってたし、分かってなかったかもしれないけど、もしかしたら待っててくれたのかもしれない頑張って待ってくれようとしてたのかもしれないと思えたから。

しばらく動けなくて、寒い寒い座敷におじいちゃんと二人になった時に手を握ったり顔を撫でて、頑張ったねお疲れ様って声をかけて。
寒いからこっち来て暖まりなさいって連れて行かれるまで残ってた事を未だによく覚えています。

尊敬していたおじいちゃんでした。
むかーしの話、親戚のおばさん(よく来てくれる母の叔母さん)が「この時代では珍しい大恋愛だったんだよー、一山越えて歩いておばあちゃんに会いに来て。結婚して実は一回ダメになっておばあちゃんは実家に帰ったけど婿養子になってまでおばあちゃんを選んだ人だ」と。
まっすぐな人。農業に肉牛の世話、仕事、何をやらせても器用でしっかりやる。お酒が大好き。でも酒に飲まれて悪いことは絶対にしない。
本当に本当に大好きでした。今もね。

そんな日でした。

一時は、まさか…お母さんもおじいちゃんの命日に…なんて事も考えた時もありました。

でも今朝も変わらず、順調でした。
区役所で用を済ませて、顔を出したら表情も良かったし、リハビリも終わってちょうど身体も拭いて貰った後だったみたいで少しスッキリした表情でした。

朝方、ポータブルトイレにチャレンジしたそうです。
でも酸素マスク+鼻カニューラでも酸素80台前半。
鼻カニューラ5Lのみだったら60台くらいまで落ちたんじゃないかと思うと自分でも自覚はしていたけど、とりあえず出来なかったわけではないのでこれもリハビリの一環として徐々に。

肝臓の値が悪いので肝臓の薬を飲むようになりました。

あとは明日のプレドニン減量からの様子見+採血など検査結果を元にまたお話があると思います。

良いお話を聞ける事を願って。



その後、私は少ししかいられなかったけど出かけてくるねと話して彼とお出かけしてきました。

仮面被ってたかのような気分は少しだけ楽になっていました。

こういう時間も大事なんだな、と

思いました。



帰ってきて、部屋に飾ってあるおじいちゃんの写真とお話。

「ありがとう。見守ってくれてありがとう。まだお母さん連れて行かないでまだ待っててね」って。


お母さんも大好き。
だけど、おじいちゃんも大好き。


いつも元気にしてくれる彼も一応大好きです(笑)

大好きな人への感謝と敬意を忘れずにいたいと思いました。