日が空いてしまいました…。
先生とのお話のお約束の日でした。
エンドキサン治療はなし。ネオーラルの継続。
サイトメガロウイルスは減少傾向にあり、週明けの検査結果によって点滴終了。
肝臓の異常については薬剤性の可能性が高い、デパケンの副作用が急に出た可能性があるのでデパケンは中止して、万が一今後てんかんの症状が起きた場合には服用を検討。
肝臓についてはまた改めて消化器の先生と診ていき、その都度お話していく。
体重の減量がうまく出来ているので今までの肥満は薬剤性ではなく、食事コントロールが影響していたと思うので気をつけて下さい(耳が痛い…)ちなみに入院時から12kg減。でも身長など標準的な体重まではまだ減量が必要。
肺のレントゲンでは以前外来で診ていた時と状態は変わらないけれど、血液検査の値から見ていくと今回の肺炎のダメージは受けていて以前よりも確実に肺は固くなっている、これは本人にも自覚症状があるように酸素濃度が下がりやすい事や動作後の脈拍の上がりにも出ている通り。
3月中旬退院予定。
当初出ていた3ヶ月以上経過した場合の転院の可能性は回避出来そうな状況。
但し、自宅退院が出来ても生活は介護ベッド利用はもちろんのこと、トイレに関してもポータブルトイレの利用を勧めるとのこと。
もちろん入浴も介助が必要。
家の中での歩行は極力少なく。
通院も負担をかけたくないので往診出来る先生を行かせるという方向も検討する(とは言っても、往診だからといって私がパッタリ診察を切るということはなく軸としては私が診て、往診はあくまで代診のような形。通院が必要という時には私が診る計画でいきますとのこと)
自宅へは帰れるけれどほぼ外出不可、寝たきりに近い状態になるという宣告である。
退院。
本来なら嬉しい事ではあるけれど、退院までに環境を整えなければならない。
そして、本格的な介護の生活が始まる。
もちろんリハビリの状況で歩行に関してはもっと良くなっていく事も考えられるけれど、今までのようにはいかない。
どこかで出来る事出来ない事の線引きをしなくてはならない。
これは家族だけでなく、本人の中でも。
在宅酸素については機械は1台の利用でも7Lが限界になりそうなので、2台利用となる可能性があるとのこと。
1台は鼻カニューラ用、もう1台はマスク用という感じ。
このあたりのお話については2月下旬にCTを撮って改めて退院後の事も踏まえてもっと詳しく今後の話をするという事になりました。
経過次第で3月中旬に退院。
それまでにまずは引っ越し。
問題は山積みで、不安もかなり大きくなり父と私はこれからの事について悩みが大きくなり…言葉が出ませんでした。
病状説明後、母の所へ戻って私は丁寧に言葉を選んで病状についてと退院についてとその後についてを話していたのですが…
父は悪い事ばかりをムッとした顔付きで言う…。
「帰ってもトイレはポータブル置かなきゃいけない」
「病院も通えないから先生が来る」
そんな事を聞いた母は泣きじゃくってしまいました。
もう外出も出来ないし、それじゃあ気晴らしに散歩に出る事すら出来ない、通院も無理でトイレもままならないなんて、寝たきりと同じ、施設に入った方が良いのかな…と言っていました。
私は「リハビリ次第だよ。だからといって無理をするのは良くないけどまずはリハビリで力を付けなきゃ!歩行練習も始まったんだからまだ諦めていられないよ!トイレについては詳しく言うと先生も言ってたけど呼吸器疾患のある人はトイレが一番怖いんだって。トイレまで行って座って一息ついて息を整える、お通じの場合そこでいきむ場合があるとそれで息があがる、済ませて一息ついて、立ち上がると息があがる、その瞬間に低酸素になって倒れた場合に誰も気付けない事があるという事。それが怖いからトイレもポータブルの方がいいんじゃないかってこと。だから歩く事が絶対にダメという事じゃない。今はリハビリで力を付ける事がお母さんが一番大事にしなきゃいけない目標。先のことはそのときにならないとわからない、まずは退院を控えて自分が出来る事は何か?リハビリだよね?リハビリは他の人がやっても意味ないの。お母さんがやる事。引っ越しはお母さんは関与出来ない、そこは線引きして諦めて任せて。家の事はお父さんと私で頑張る、お母さんはリハビリを頑張って」
そう話しました。
落ち着いて、夕食もおかずは完食してご飯は二口ほど。でもいつも通り。
帰宅して、父が親戚に連絡。
私もおばあちゃんに連絡したり。
今後に大きな不安を抱えて、暗いお食事タイムを過ごして、お風呂に入って。
部屋で、枕に顔を押し付けて声が漏れないように…泣きました。
過呼吸にもなりました。
退院。嬉しい事なのに…辛い。
母の為にどう生活していけばいいか、両親の生活の為に私はどう生きていけばいいのか、介護をする為にも生活の為にもバランスを見ながら社会復帰を早く果たして家賃の手助けをすべきじゃないのか、私がもっともっと早く回復して社会復帰して少しでも力になれていたら…色んな事を考えて。
でも先の事が不安なのは誰でも同じ。
なるようにしかならない。
ただ、考えるのは私の将来。
母の為にこれからどう生きていったらいいか。
私の幸せは何か。母の幸せは何か。父の幸せは何か…。
先生とのお話のお約束の日でした。
エンドキサン治療はなし。ネオーラルの継続。
サイトメガロウイルスは減少傾向にあり、週明けの検査結果によって点滴終了。
肝臓の異常については薬剤性の可能性が高い、デパケンの副作用が急に出た可能性があるのでデパケンは中止して、万が一今後てんかんの症状が起きた場合には服用を検討。
肝臓についてはまた改めて消化器の先生と診ていき、その都度お話していく。
体重の減量がうまく出来ているので今までの肥満は薬剤性ではなく、食事コントロールが影響していたと思うので気をつけて下さい(耳が痛い…)ちなみに入院時から12kg減。でも身長など標準的な体重まではまだ減量が必要。
肺のレントゲンでは以前外来で診ていた時と状態は変わらないけれど、血液検査の値から見ていくと今回の肺炎のダメージは受けていて以前よりも確実に肺は固くなっている、これは本人にも自覚症状があるように酸素濃度が下がりやすい事や動作後の脈拍の上がりにも出ている通り。
3月中旬退院予定。
当初出ていた3ヶ月以上経過した場合の転院の可能性は回避出来そうな状況。
但し、自宅退院が出来ても生活は介護ベッド利用はもちろんのこと、トイレに関してもポータブルトイレの利用を勧めるとのこと。
もちろん入浴も介助が必要。
家の中での歩行は極力少なく。
通院も負担をかけたくないので往診出来る先生を行かせるという方向も検討する(とは言っても、往診だからといって私がパッタリ診察を切るということはなく軸としては私が診て、往診はあくまで代診のような形。通院が必要という時には私が診る計画でいきますとのこと)
自宅へは帰れるけれどほぼ外出不可、寝たきりに近い状態になるという宣告である。
退院。
本来なら嬉しい事ではあるけれど、退院までに環境を整えなければならない。
そして、本格的な介護の生活が始まる。
もちろんリハビリの状況で歩行に関してはもっと良くなっていく事も考えられるけれど、今までのようにはいかない。
どこかで出来る事出来ない事の線引きをしなくてはならない。
これは家族だけでなく、本人の中でも。
在宅酸素については機械は1台の利用でも7Lが限界になりそうなので、2台利用となる可能性があるとのこと。
1台は鼻カニューラ用、もう1台はマスク用という感じ。
このあたりのお話については2月下旬にCTを撮って改めて退院後の事も踏まえてもっと詳しく今後の話をするという事になりました。
経過次第で3月中旬に退院。
それまでにまずは引っ越し。
問題は山積みで、不安もかなり大きくなり父と私はこれからの事について悩みが大きくなり…言葉が出ませんでした。
病状説明後、母の所へ戻って私は丁寧に言葉を選んで病状についてと退院についてとその後についてを話していたのですが…
父は悪い事ばかりをムッとした顔付きで言う…。
「帰ってもトイレはポータブル置かなきゃいけない」
「病院も通えないから先生が来る」
そんな事を聞いた母は泣きじゃくってしまいました。
もう外出も出来ないし、それじゃあ気晴らしに散歩に出る事すら出来ない、通院も無理でトイレもままならないなんて、寝たきりと同じ、施設に入った方が良いのかな…と言っていました。
私は「リハビリ次第だよ。だからといって無理をするのは良くないけどまずはリハビリで力を付けなきゃ!歩行練習も始まったんだからまだ諦めていられないよ!トイレについては詳しく言うと先生も言ってたけど呼吸器疾患のある人はトイレが一番怖いんだって。トイレまで行って座って一息ついて息を整える、お通じの場合そこでいきむ場合があるとそれで息があがる、済ませて一息ついて、立ち上がると息があがる、その瞬間に低酸素になって倒れた場合に誰も気付けない事があるという事。それが怖いからトイレもポータブルの方がいいんじゃないかってこと。だから歩く事が絶対にダメという事じゃない。今はリハビリで力を付ける事がお母さんが一番大事にしなきゃいけない目標。先のことはそのときにならないとわからない、まずは退院を控えて自分が出来る事は何か?リハビリだよね?リハビリは他の人がやっても意味ないの。お母さんがやる事。引っ越しはお母さんは関与出来ない、そこは線引きして諦めて任せて。家の事はお父さんと私で頑張る、お母さんはリハビリを頑張って」
そう話しました。
落ち着いて、夕食もおかずは完食してご飯は二口ほど。でもいつも通り。
帰宅して、父が親戚に連絡。
私もおばあちゃんに連絡したり。
今後に大きな不安を抱えて、暗いお食事タイムを過ごして、お風呂に入って。
部屋で、枕に顔を押し付けて声が漏れないように…泣きました。
過呼吸にもなりました。
退院。嬉しい事なのに…辛い。
母の為にどう生活していけばいいか、両親の生活の為に私はどう生きていけばいいのか、介護をする為にも生活の為にもバランスを見ながら社会復帰を早く果たして家賃の手助けをすべきじゃないのか、私がもっともっと早く回復して社会復帰して少しでも力になれていたら…色んな事を考えて。
でも先の事が不安なのは誰でも同じ。
なるようにしかならない。
ただ、考えるのは私の将来。
母の為にこれからどう生きていったらいいか。
私の幸せは何か。母の幸せは何か。父の幸せは何か…。