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いよいよ転居に向けて忙しくなってきました。
毎日、朝から晩まで片付けに追われています。
約26年暮らした家なのであらゆる所から物が沢山…処分品と梱包品に囲まれて生活しています。

引っ越しは17日。
1週間を切りました。

ここのところ、母の所へは行けてもほんの少しの時間だったり行けない日があったり…ですが、日中や寝る前にはメールが届きます。

リハビリの様子や検査についてなど。

今現在はトイレは車椅子で病室のトイレへ移動して用を足したら看護師さんを呼んでベッドへ戻る、車椅子の乗り降りは出来る、ベッドの周り1周するのは少しずつ出来ている…等々、出来る事が増えてきました。

当初、必要としていたポータブルトイレの設置は特別必要な感じではないものの何となく調子が良くないかな?という時や夜中や動くのが辛い時などに利用出来るように購入する事にしました。
念のため、とのことで。

酸素は現在安静時4L、動作時6~7L(鼻が辛い時はマスク、基本的に鼻カニューラ)と少し下げても大丈夫になりました。
以前は5Lまでの機械を利用していましたが、退院後は7Lまで対応の機械に変わり、携帯用ボンベも一回り大きめに変わります。
今までの機械とボンベは引っ越し前に一度引き上げて貰って、退院前に改めて新しい物を新居に搬入して貰う事になりました。

今後は介護ベッドもレンタルします。

介護度も変更になるとの判断で、認定調査を受けます。



そして


20日に退院の運びとなりました!!

長かった…。
最悪の事態も覚悟した…辛い時期も沢山あった…。
正直「覚悟」というのは間質性肺炎になってからずっと頭には入れていますが…。

3ヶ月で病院を転院しなければならないという縛りにもギリギリで逃れる事が出来て、今まで通りに今の先生に診て貰う事も可能に。

転居先も決まり、今度はエレベーターもあり負担がかなり減る。

忙しいけれど、タイミングも良く順調に決まった事も本当に良かったと思います。

転居と退院に合わせて、18日には介護ベッドとポータブルトイレの搬入と手すりを付ける打ち合わせをして、19日までに新しい酸素の機械、ボンベの搬入。

そして、念願の自宅退院。

今も本当に忙しい毎日ではあるけれど、退院してからも食事管理や入浴介助…以前の生活よりも忙しくなると思います。

でもここからがスタート。
新生活を始めるにあたって、母にはリハビリを。
私達は母と共に安心して暮らせる環境作りを。
退院の日までそれぞれ頑張っていきたいと思います。

そして、娘の私ですが…徐々に両親とうまくつかず離れずの自立生活を目指します。
もちろん、家族の介護は大事。
けれど、自分の自立も大事。

父からも「これからの生活、お前の稼ぎを頼りにしたい」と言われてしまいました…。
正直これは辛くて重たい言葉でした。
30にもなって心の障害を抱えてまともに働けていない負い目を感じて生きてきた自分にとってプレッシャーでもあり、ここが変わり目なのかと思う気持ちもあり…。
それだけではなく、いつか私が実家を離れる事もあったら…二人で仲良く生活して行ってもらう為にももう少し自立心を持って変わっていかなくてはいけない、そんな時期になっているのかと思います。

ひとまずは落ち着くまで協力しあって、あとは少しずつ離れる時間を増やして…親離れ子離れしようと思っています。

孫の顔が見たい、そう望むのなら尚更子離れして頂かないといけないですし。
(これも小さなプレッシャー…)


そんなこんなですが、何とか元気に?頑張っております。




最後に…

3.11

4年が経ち未だ仮設住宅で暮らしている方々、未だ行方が分からない方々…。
本当に心が痛みます。
母の実家も被災地ですが祖母親戚無事ではありましたが、一部の親戚は津波の影響を受けたりもありました。
母の友人も津波で家が流されてしまい未だ仮設住宅で生活されています。
4年経っても仮設での生活、変わっているようで変わっていない所もまだ沢山あるのが現実です。
心や身体に刻まれた傷跡は消せないけれど、皆様が一日も早く元の生活に近付ける事を願って止みません。

そして、犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。



そんな中でも生かされている私達。
些細な事も辛くて苦しくて…と、なってしまう事もあるけれど、少しでも幸せに過ごせていけたら良いものですね。

生きているのが辛いと何度も何度もしてはいけないことを繰り返した私がこう言えるようになったのも少しは鬱が落ち着いてきた証かな?



話が色々混ざってしまい長くなりましたが、引っ越し&母退院まであと少し。

頑張ります!