根本 沙璃(さり)です。

 

今日は、損得勘定について、お話しします。

損得勘定をしないことが推奨されています。
たしかに、これはその通りだと思います。





これを強調しているほど
損得勘定をしっかりと考えている人が
多いと思うのは、私だけでしょうか?(笑)


損得勘定で動くと、予定調和の
安心な結果が手に入るところもあります。

ですが、頭の中で予測したとおりの
結果しか手に入らない、とも言えます。

また、損得勘定にとらわれてしまうと

損しまいぞ、かたくなに考えて

逆に、相手に損させちゃダメ!
と考えて



かなりのエネルギーを

 

消耗することになるのです。

 


自分自身の可能性が狭まるのも事実。


と、損得勘定を行うことの
デメリットを考えた上で

私は、損得勘定はあっていい
むしろ、ある程度は大事にした方がいい

と、考えています。


というのは、損得勘定をしないように
しなきゃ!

と思っている人ほど、けっこう
損していることが多いからです。

だいたい、まじめで、お人好しで
断るのが苦手で、デフォルトが

自分がちょっと

 

損をするくらいがちょうどいい

 

になっている人が多いのですよ。


そういう人に、損得勘定をやめろ

と言うと

もっと損することに力を注いでしまって
苦しみを生むことになります。

たとえば、ご老人に電車の
座席を譲るかどうか、というとき


譲ったとします。


この人の動機が

ただ、ご老人に楽してもらいたいから

だとしても

いい人だと思われたいから

という下心があったとしても

そのとき、ご老人が「助かった」ことには
変わりないのです。

いい人だと思われる、という「得」を
考えた自分は動機が不純だから

お譲りしない、としたら

ご老人が立ったままだった

という事実には、変わりないのです。

※誤解を避けると、老人は足腰を
鍛えるために、立つべきだ、とか

席を譲ることが、人として正しい
とか、そういうこと言っていません。

あくまでも、損得勘定が
内側で働く場合の、一つの例です。


なので、たとえ損得勘定を働かせて
いたとしても、その人が


実践したことによって

喜ばれたり、助けられたり
何らかの資源になるならば

それは尊いことです。

需要と供給が成り立つポイント
ってありますよね?

あれって、経済用語で

「神の手」と言うそうですね。

需要と供給が成り立つのって
結局、お互いの損得が一致していて

お互いにハッピーな状態なのですよ。

損得勘定のとらえかたにも
よると思いますし

損して得取れ、という言葉もありますが


自分が損することがデフォルトに
なっているなら



自分が得していい

 

という前提で、損得勘定にOKをしてみると

新鮮な体験ができると思います。