昨日5月20日よりちょうど1年が経ちました。

5月20日って・・・てほとんどの方々が何が?と思うと思いますが

昨年の5月20日

第102回高校野球選手権大会が無くなった日です。

 

この昨今も、変異株とか脅威をもっているコロナウイルスにより

戦後初めて中止となりました。

 

感染した方やお亡くなりになった方や

今現在コロナによって苦しんでらっしゃる方を揶揄するものでは

決してなく

あくまでこの自分の昨年からの学童からムスコと日々過ごしてきた

中での最大の衝撃を1年経って今思うこととして

振り返ります。

 

確か、緊急事態が発言されて、高校の部活動も

学校自体もなくなり自主練中で

春の大会が無くなって・・・でも夏はあるだろう!何とかやってほしい!と言う

気持ちで過ごしてたように記憶してます。

 

新聞等メディアでは、中止!との情報が錯綜してたと思います。

 

ムスコは、信じて自主練してましたね。

2019年秋にアキレス腱を痛めて、冬に手術をして

2020年春の大会は間に合わないかもだけど

夏は、絶対に悔いなく終わろう!と

親子で話をして、また励ましてきてた時でした。

 

そして2020年5月20日夜6時過ぎだったかと思います。

102回夏の選手権大会中止が発表されました。

 

発表された当時は、市内のバッティングセンターにいましたね。

足はほぼ治ってきた。

 

1年の時から悩んでいたイップスに苦しめられ

それでも、時には色々言われ、歯を食いしばって

得意のバッティングさえ勘が戻れば、バッティングで

チームに貢献できるのではないか?

 

一縷の望みを持って

練習してたことを今思い出します。

 

「こればっかりはしょうがない・・・。」

〈そーだね〉

「絶対に何かけじめをつける何かがあるから

 気持ちだけは切らすなよ」

〈そーだね〉

 

そんな感じで会話をしてた記憶があります。

 

親としては、小さいころからプロ野球や甲子園を見て育って

学童からリトルシニアを経て高校に入り

その夢舞台に自分たちの時代になって挑戦すら出来ない

挑戦できなくて・・更にこのまま引退・・・

悲しすぎるし・・・何の為?どーすれば?

 

この3年生に対して、親として何が出来るのか?

何をしなきゃ?って言うのを思ってましたね。

 

そんな中、6月に学校が再開されて

部活動も1日に2時間と言う制約の中、感染対策をしながら

始まり、また全国の都道府県からも独自の大会を開催する運びとなり

新潟県も夏の独自大会を開催が決定し

あれよあれよとあっという間に7月に入り

独自大会が開かれました。

 

関係者のお蔭で、保護者も1選手につき2人まで観戦可能となり

無事に開幕。

初戦から危なげなく山場もありましたが

8月6日でしたか、独自大会優勝し

甲子園のない特別な夏に新潟県1番で終えることができ

様々な方々のご苦労のお蔭で

選手・保護者もけじめをつけられ、今思うと

甲子園大会が無かったけど

けじめをつけられ、次のステップに進められて

良かったと感じてます。

 

今、緊急事態や蔓延防止や変異株などの問題

オリンピックの問題や様々な問題がありますが

野球部員でだけでなく学生全部の大会が

努力してきたことに、けじめをつけて

次のステップに進められるように

関係各位の方々大変でしょうが

若い力を若い思いを組んでほしいと思ってます。

 

そして特別な夏は2020年だけで

普通の夏に早く戻ってほしいと思ってます。