2月7日は北方領土の日。

1945年8月8日、旧ソ連(現ロシア)はこの時点で有効に存続していた日ソ中立条約を突然破棄して対日対宣戦布告。
ソ連が千島列島最北端に上陸したのは、わが国がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏した8月15日から3日後の8月18日でした。その後、ソ連軍は島づたいに南下し、8月28日択捉島に上陸、次いで色丹島、国後島、歯舞群島と、9月5日までにこれら四島をすべて占領するに至ります。

終戦時、北方領土の四島には、約1万7,000人の日本人が居住していました。ソ連軍の占領により、その半数の者は、不安と恐怖のあまり小舟を操り、自力で島を脱出しましたが、それ以外の島民は日本帰還を認められずに抑留され、樺太などで苦しい生活を送った後、1947年から1949年にかけて強制的に日本本土に引き揚げさせられました。

戦前の北方四島
択捉島 紗那市街

択捉島 蘂取小学校

色丹島 海苔干し

歯舞諸島 多楽島小学校

国後島 東沸市街

現存する「戦前日本人によって建てられた建造物」






私は常々、自分の国の領土たる北方四島を1日でも早く訪れたいと思っています。
自国の領土に足を踏み入れることができないなどという受け入れがたい状況が一刻も早く終わることを強く願っています。
北方四島は日本です。
旧ソ連軍(現ロシア軍)に侵略されるまで、そこには日本人の生活があったのです。そして不法占領された今も、そこには多くの日本人が眠っているのです。

返せー。