母がクモ膜下出血になりまして。その4


2012年6月11日(月)

朝から一人、家の中。

食欲はまったくない。

それでも1週間は始まる。


授業中、やっぱり電話が鳴るのではないかと思い、
ずっとひざの上にケータイを置いて授業を聞いた。

ひとまずは、術後の目だった後遺症はない。
何も無いという静けさが逆に不安を掻き立てるようだった。


学校の担任に話をつけ、なるべく晩の面会には
間に合うように学校を出れるようにした。

放課後なので、出席や成績に関わることはないだろうという
個人的な判断もあった。


晩の面会。
20分ほど待たされて入ってみると、

ソコには顔面をパンパンに腫らした母がいた。

特に目がひどい。
目じりと外がわの目の端がまるでひどくこすったかのように真っ赤。
本当に真っ赤だった。
そして左目は腫れすぎて開くことができなかった。
右目はかろうじて開くことができるので、
そちらで見ているようだった。

見た瞬間、少し衝撃を受けるほどだった。


本人曰く、今日起きたら腫れていたとの事。
寝ている間に本人が掻いたのか、それならまだ良い。
リンパが溜まって腫れていることが一番こわい。

体の循環がうまくいっていないという事だからだ。

まだ目の周りとほほ当たりが少し腫れているだけで、
アゴや首は腫れていなかったので
ただ単純に荒れている可能性もある。

明日また見てみないと分からないと思った。

頭のチューブは抜かれており、機械とドッキングはしていなかった。
これは快方に向かっている証拠なので、素直に嬉しかった。

母本人が言っていたが、
夢なのか現実なのかが分からないときがある、との事。
ずっと浅い眠りの中にいるそうだ。

ICUは窓もなく、時間も分からないので無理も無いことかもしれなかった。
ベッドの端に腕時計をかけ、かろうじて何時かは分かるようにした。

机の上に鏡を置いたことが間違いだったのかもしれないが、
母はあまり顔を見られたくないようだった。

血圧はベットに上半身を約45度ぐらいの体勢で、
133mmHg~77mmHgとやはり高めだった。

もともと、母はバセドウ病の為の薬を飲んでいたので
それをやめると血圧はあがると思う。
これがまだ正常の範囲内で収まって行ってくれることを願う。


食事も、白身魚が出たが、自力で切り分けることができなかった。
自分が、お箸を取り出して、一口サイズに切り分け、スプーンの上にのせてやる。
母は、それを自分で口に運ぶ。
多すぎると口の周りに食べ物がつき、荒れてしまうので、少し少なめにのせてやった。

兄が途中に来るまでの間、食事介助をされることに対する罪悪間か、
母が自分の非力を嘆いてか、すこし目に涙を浮かべていたと思う。

見ないフリをした。

兄が来て、食事の間、見守っていた。
母は、少し甘めの小鉢に入っていた春雨を
甘いので美味しくないと残した。

味覚はあるようで、安心した。

明日の晩面会もまた来るね、といって帰ると
母は何度も手を振ってくれた。


今日も母は、叔父が自分の保険証を持っているといった。
持っていない。自分で持っていて、倒れたとき、コチラに来ていたから。
手術で意識が混乱しているだけだと良いのだが・・・。

明日は学校の小テストがある。
なるべく早く回答して、母の元に向かう必要がある。