母がクモ膜下出血になりまして。その7


2012年6月14日


今日は学校の授業が終わっても、
グループでもう1コマ勉強しろというグループ学習日。

途中で抜けさせてもらえた。
看護学校に通っているので、先生ももちろん看護師。

話が早くて助かる。
なんで手術終わって1週間近く経つのに早く帰るの?なんて
ナンセンスな質問はされない。

今はとにかく母の不安を取ることが一番だと言ってくれて
自分が学校を帰る事を許容してくれる。

そうそう、学校の先生曰く、
脳近くの手術をすると脳が一時的に腫れあがり、
脳漿とともに脳を圧迫するので意識混濁のようなことは起こるそうだ。

是非、そうであってほしい・・・。
祖母が痴呆になったときはソコまで感じなかったのが
今はビシビシと体感として伝わってくる。
元気だった母が、考えることに時間がかかり、
意識混濁した発言をすることを見ているしかない自分の、あの無力感・・・。



今日は昨日食欲がなかったので、
和食弁当で少しずつの料理が6個程度はいったお弁当と、
甘納豆を買っていく。

ICUに入ると、母は起きていた。
顔をしかめているので、聞くと、頭が痛いそうだ。

そして文句を言うように言う
「今日4回目の食事なの。おかしいやろ?食欲もそらでないわ」

病院が3回以上食事を出すことはない(念のため確認したが、やはりありえなかった)

聴き取りづらかったが、母と同じ名前の人がいる?ような事を言ったので、
「たぶんその人の分が来ちゃったんじゃない?ラッキーって思えばいいよ~」
と流しておいた。

今日衝撃的だったのは
自分に次いで、兄が来たのだが、母に冗談で
「誰だかわかる~?w」と聞いたのだが、
叔父の名前を言ったことだ。

自分:「叔父は明日に来るんだよー」
母 :「・・・・・ん?(。-`ω-)」
自分:「んじゃぁコレだれよ?」

母 :(兄をじろじろと見て)「・・・やっぱり叔父じゃん・・・」


自分:「これアナタの息子だよ。わかる?」


名前と共にいうと、思い出した?かのように
「ああ」と小さくうなずいた。

自分の事も聞きたかったが、名前まで聞くと
何もかも母に質問して困らせているようなので控える。

とにかく、頭が痛いのか
食がすすまない。

買ってきた弁当を見せても、無反応だった。

本当、食欲は落ちたと思う。
自分からナニが食べたいのかいう事はない。


看護師さんと話をした。
・明日CT検査をし、問題がなければ一般病棟に移るとのこと。
・本人が、最近悪夢をよく見るといっているらしい。
・ICUは常に看護師が出入りし、うるさい割りに
 あまりモノを持ち込めないので気晴らしするモノもないので
 母はストレスを感じているのだと思う。
とのこと。


こんな、弱々しい状態で、一般病棟に移って平気なのか・・・?
しかし、ICUをずっと占領する訳にもいかない。


今日は頭が痛いので、あまり話しもせず
寝かしつけた。

しかし、帰るね、というと最後までずーっとこちらを見て、
手を振ると振り替えしてくれる。

出て行く間もきっとずーっと見られていたと思う。
寂しそうな顔だった。

一般病棟に移って良いことは、この辺の面会時間が延びることだ。
一般病棟に移れば、もうちょっと余裕をもって会えるから、
それまでの我慢だよーと心で思いながらICUを出る。


明日はたくさん人がくるから、混乱しないといいな。
母の面会の前になるべく会って、母が誰が来たか認識できなくても
傷つかないように事前に言っておきたい。


明日は母の幼馴染?の方と
叔父がくる。

二人の対応しつつ、兄とも連絡を取る。

明後日は妹がくる。


面会しに来てくれる人にあえて「お願い」するならば、
悲嘆するでもなく、意識混濁をバカにするでもなく、
昔の記憶はあるので、なるべく昔話をしてあげてほしい。
しかも笑えるエピソードのものを。
笑いは免疫効果を高め、病気に打ち勝つ力になる。
だから、なるべく笑えるような話を投げかけてやってほしい。
決してしんみりせず、深刻な顔もせず、母が少しでも楽しめる時間を
すごしてあげてほしいと思う。





もう少し、症状が良くなれば、肩の荷も下りるのだろうか?
本人には言えないけど、その日が早く来てほしいと思う。
「急かす」事は一番いけないことなので、これからも本人に言うことはないだろう。

なんだか最近常に気を張り詰めていて、針で刺されでもしたら
パチンとはじけそうな感じがする。
こういうときは、体調に気をつけよう。



土日は少し長めに寝よう。寝れるなら。