母がクモ膜下出血になりまして。その11
2012年6月18日
はやる気持ちを落着かせ、病院へと向かう。
何も知らせがないので、きっと母は一般病棟へ移ったはずだ。
そう思ってICUの受付へ。
看護師に聞くと、母は同じ階の666という部屋へ移動したそうだ。
安心した。
これで一段階、回復に向かっていると確信できる。
一般病棟の部屋に入ると、4人部屋の一番奥、窓側のベッドに母がいた。
意識がしっかりとしており、覚醒状態だった。
しばらくすると医師(副治医?)が回診にきた。
「山場は2週間で、14日間です。
今現在10日を過ぎて特に後遺症も見られないので
このまま回復すれば良い結果になると思います。
山場は過ぎたでしょう」
未だに排便のときは車椅子移動で、排尿はバルーンだが、
食事はベッドから降りてサイドテーブルに、椅子に座って食べるようにしていた。
まだおぼつかない足取りでそろそろと動くが、しっかり自分で立っていた。
この調子でよくなるならば、しばらくは家の1階で過ごした後、
2階でも生活できるようになると思う。
どんどん前向きな希望が出てきた。
このまま何事も起きずに回復して欲しい。
2012年6月18日
はやる気持ちを落着かせ、病院へと向かう。
何も知らせがないので、きっと母は一般病棟へ移ったはずだ。
そう思ってICUの受付へ。
看護師に聞くと、母は同じ階の666という部屋へ移動したそうだ。
安心した。
これで一段階、回復に向かっていると確信できる。
一般病棟の部屋に入ると、4人部屋の一番奥、窓側のベッドに母がいた。
意識がしっかりとしており、覚醒状態だった。
しばらくすると医師(副治医?)が回診にきた。
「山場は2週間で、14日間です。
今現在10日を過ぎて特に後遺症も見られないので
このまま回復すれば良い結果になると思います。
山場は過ぎたでしょう」
未だに排便のときは車椅子移動で、排尿はバルーンだが、
食事はベッドから降りてサイドテーブルに、椅子に座って食べるようにしていた。
まだおぼつかない足取りでそろそろと動くが、しっかり自分で立っていた。
この調子でよくなるならば、しばらくは家の1階で過ごした後、
2階でも生活できるようになると思う。
どんどん前向きな希望が出てきた。
このまま何事も起きずに回復して欲しい。