阪神淡路大震災:当時の私 | 日常

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昨日は、1月17日。
ニュースで「阪神淡路大震災」のことが
沢山取り上げられてましたね。


当時のことをちょっと振り返ろうかと。。


私の住んでいる場所は関西/阪神間。
震源地の真上です。



揺れに揺れたあの日。



実家は高台にあるので
普段は大阪~神戸の夜景が一望できるのですが
あの日は、驚くほど太い「火柱」をみました。


暗いうちはなんだか白い線だ~、くらいだったのですが
明るくなると、まさにドドーン!!と「火柱」。

何本も何本も見たことないくらい太い柱。


一生忘れられない光景です。



この日の家族の事。





宝石白

当時は成人式が1/15だったので、単身赴任をしていた父が
帰ってきてて、17日の朝一番の新幹線で東京に帰ったんですね。

1台遅かったら、立ち往生だったそうです。



父は運が強いというか、星のまわりなんでしょうね~



過去に御巣鷹山の日航機事故ありましたよね。
実はあの便に乗る予定だったんです(><;)。
が、キャンセルが出たので1機前に乗ってて難を逃れました。



先日はなんか動悸がすると、病院で検査。
すると、検査中に血栓がつまり、
大学病院に緊急搬送⇒心臓のバイパス手術。


うわ~・・やっぱりすごい強運かも。。!!



宝石白

着物を着て写真を撮った2日前。
お店は倒壊し、私の写真が掘り起こされたのは半年以上先の事。
ご主人は亡くなられ、私達の写真が最後の撮影となったそうです。



大学のテストは全て中止⇒1回生だったのですが単位はくれました☆
申請だけは、たんまりしてた私。
卒業まで単位で苦しむことは無く。


神戸の大学だったのですが、電車が倒壊してたので
バスを乗り継ぎ通いました。


宝石白
地震当日の朝、
母は起きて書斎で原稿を書いていたのですが、
重たい置き時計が本棚から降ってきて肩直撃あせる


あわや頭だったら死んでいました。
揺れている最中は扉が開かなくて部屋から出れなかったそう。




宝石白
猫と一緒に寝てて、猫はいつも踏まれてるので
震災には気づかず・・・。
布団はいだら「何~?」みたいな顔されてほっと一安心。

妹は眼鏡の場所がわからずコントみたいに
探しまくってました。
その後、レーシックをする。
(私もしてまーす。いいですよ☆)



宝石白

アフガンハウンドという大型犬を家の中で飼ってたんですね。


↓こういう子です。
夙川・苦楽園★ゆるゆるワーキング&アレルギーっ子の日常

リビングで寝起きしてたんですが、見に行くと。。
あれ?なんか床が滑る・・


明るくなったら、それが血だと分かりました。
足の爪がはがれてて床中血まみれ


その後も貧血で40キロある子が何度もフラ~となりながら
それでも家から出ようとする。
怖いんでしょうね。。



余震もすごかったし、可哀想でした。


アカルスという病気で
高速のって、月2回病院に通ってたのですが
高速も倒壊。薬もない・・・。


結局、最後は安楽死という悲しい選択でした。
15年、家族として常に一緒に暮らしていたので辛かったです。



宝石白

前日カレーで、もう食べないよね~と処分してしまったのを後悔する汗


お風呂に水溜めればよかったのですがテンぱって洗面器に溜める。
⇒その後3ヶ月断水・・・。


電気は当日中に復旧。
ガス・水道は長かった。。


普段は小学校に設置された自衛隊のお風呂に入ってました。
トイレ用には学校のプールに水を汲みに行ってました。




父の取引先の人がいろいろと運んで来てくれたので
そんなに困ることは無かったのですが、
やはり水が一番苦労しましたね。




家は2年前に建替えしてたので、一部損壊で済みました。
(おかげで、今ヒズミが出てきてます⇒ベランダが突然落ちたり。汗)






当時は「子供」の立場だった私。
今は、「親」の立場になって考えると、母は大変だったと思います。


あの日は早朝だったので家族3人は一緒でした。
父とも母の携帯ですぐ連絡がとれました。




が、、、日中だったら。。。(><;)


3.11はそうですよね。


保育園で一夜を明かした子供達。
安否確認も出来ないなかで不安がつのったことでしょう。。




次は東海地方だと言われてます。
普段から何が大事なのか、何を優先するのか、、、。


シンプルな生活を心がけたいものです。





今日も長々とお付き合いくださいまして
ありがとうございます☆
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