ご無沙汰しております。
まほろです。

昨日、ある先生から
ありがたいサジェスチョンを賜りました。
「自分が思う自分が、自分なのではなくて、
他の人から見た自分が本当の自分なんですよ」
と。

そのときには
「でも私、今、結構元気ですよ^ ^」
とか言って、私は軽い拒否感を示すような
言葉を口にしてしまいました。
せっかくいただいたものを受け止めたようには
表現できてなかったように思います。

そういった面も含めて
「他の人から見た自分が本当の自分」
ということだったのかな、と、
5時間くらい経ってから、じわりと来ました。
あの一撃必殺で本質をついてくるところ
先生、相変わらずでいらして、
こころが震えました。


そこで、私の頭の中に去来したのは
こちらの本のキーワード

「自分を認めなさい」


人生に行き詰まりを感じてる女性たちが
突如、謎のタコの絵が描かれたノートを
押し付けられるような形で手にすることになる。
そのノートは、絶妙のタイミングで光り出し、
ノートの持ち主の女性に、この言葉を示す。

「自分を認めなさい」

気味悪がったりしながらも
この言葉に従い、今の自分をみつめて
認めていった主人公たちは…


というストーリー仕立ての本で
楽しく読めます。
友達に勧められて読みました。

そうだよねー、と同意しつつ
でも、今の私は大体、自分を認められてる、
と思ってて、
必要性をそんなに感じていませんでした。

自分が悪いことをして、相手に責められたときに
発言や行動が不適切になるのも
相手が怖いからだと思ってました。

が、
違いましたね。
相手の問題じゃない。
「悪い自分」をそのままで認める自分が
いなかったんです。
それを認めた上で、
自分を愛することができれば、
もっとニュートラルに
「謝る」ことができるんじゃ??

ヴィパッサナー瞑想は、感覚の方から
「悪い自分」を認められるようになる
素養をつけてくれて、
次は意識の方から、ここを攻める番なんだ。

「いい子と思われるように振る舞わなければ」
という観念から
「いい子でない私は存在意義がない」
という信念をもってしまって、
それは手放したつもりでいたのに、
まだまだ無意識下で手放せていなかった。

それが、言葉の端とか行動とかに出てて、
人との関わりの中で表出していたのだなぁ。

改めて、自分に問います。
「自分を認めなさい」