「自分はこんなに頑張っている」というアピールが、めちゃくちゃ苦手だ。

どうも、結果よりも過程(プロセス)を過度に評価するという価値観の押し付けを感じるからである。


しかし最近少し思うのだ…


「人はびっくりするくらいに、

他人の見えぬ努力を過小評価するところがある」




確かに、確かにわからない。


「あの人が勉強ができるのは、生まれつきなのか、努力のおかげか?」
「あの人がスポーツができるのは、生まれつきなのか、努力のおかげか?」
「あの人が性格がよく友達が多いのは、生まれつきなのか、努力のおかげか?」


確かにわからない。
パッと見てもわからないし、近くにいてもわからないことが多いだろう。




「結果でなく努力を認めてもらおうなんて、
結果が出せない人間が言い訳をするか、
頭を使えなかった結果である。」

私はサイコパスなので、わりとこう思っていた。






しかしどうやら最近気がついたことには、
世の中の人々は、
共感がしたいらしいのだ。




自分と別の星からきた鉄のような人間がヒーローになる物語よりも、

自分と同じ人間らしい感情をもった人型ロボットが、人間らしく泥臭いヒーローを演じる物語の方が、

メインカルチャーでは人気がでるらしい。



わかったよ、それじゃあ、
結果は人はみんな死ぬんだから、過程を思いっきり楽しんでやるよ?


私の負けだ。
結果よりもプロセスだよね。はい。みんなたちの言う通りです












しかし他人に伝えるため共感するために
文章書くのってめんどくさいな