久しぶりに書きます | 闘病ブログ〜リンパ芽球性リンパ腫〜

闘病ブログ〜リンパ芽球性リンパ腫〜

2014年6月悪性リンパ腫(T細胞リンパ芽球性リンパ腫)stage1と診断され、hyper-CVAD/MA抗がん剤治療8クールを行いました。放射線治療(17回)と2年の通院を予定しています。不妊対策とし卵巣凍結、卵子保存を行いました。少しでも同病の方への情報提供になればと思います。

気付けば前回の更新から3ヶ月が過ぎてしまいました。何度か書こうかなと思いましたが、なかなか書く気持ちになれず…。でも今日、ふと書いてみようと思ったので書いてみます。

治療は順調で五週間に一度というサイクルで病院に行き治療を行っています。(前までは6週に一度でしたが白血球の戻りも良くなったので五週に切り替わりました)
12月の下旬に退院してから初めてのCTを撮りました。特に異常はなく、今後も予定通りに維持療法を行っていくとの事。


レオくんが11月の半ばに亡くなってしまいました…。

食欲がどんどん落ちながらも、食べれるものを少し食べてくれていましたが、誰かと一緒にいるのも辛く一人になりたがって、食事も水も全く食べれなくなり、苦しそうな声で鳴いて……この病気はどうしても治らない病気で、毎日の点滴、お薬を頑張っていてくれたけど、もう治らないのに苦しみを強いられてその先にあるのは死だけ。治る見込みがあるのなら、サポートは何だってするし、お金だって出します。でも治らないのです。なら、苦しみ抜いて欲しくない。もう見ていられませんでした。
すぐに病院に行き、そのまま安楽死を私が選択しました。
苦しくて辛い状態でも、生きていて、レオくんがどう考えていたのかは分からないけど、私は私の経験でしかレオくんの状態、気持ちを察する事が出来ない。私なら、もうその先にあるのは100パーセントの死で、ただただ苦しい時間が続くなら1分でも早く楽になりたいと強く考えるから。
レオくんを早く楽にしてあげたい、もう見ていられないという気持ちと、でも今それをお願いしたら、もう本当に二度と会えないんだ…という気持ちで。でも、後悔はしていません。麻酔を打たれ、もう数秒で体から力が抜けて眠り、そのまま注射をして心臓が止まりました。本当に悲しくて、自分が必死に助けようとしていた小さくて可愛くて私のレオくん。でも、同じくらい、自分が体験したからこそ、少しでも早く決断し、苦しさから開放できた事に安心しました。もう覚悟はしていて、絶対に安楽死を選ぶと決めていたのに、目の前にすると心が揺れました。もう二度と会えなくなるから。自分が苦しさを体験していなければ決断できなかった。副作用で苦しい時に何度死にたいと思ったか。100パーセント治らないと言われたら間違いなく自殺するくらいに辛かったから。あくまで私の主観なので、それが正しかったかなんて分からないけれど、でも私は今後もこの考えを変えないと思う。人間に対しても安楽死を認めてほしい。何故、最後まで苦しみ抜かなければいけないの?別に全員に安楽死しろと言っているんじゃない、したくない人はしなければいい。選択肢があってもいいと思う。