こんにちは。ご無沙汰しております^^;
日記を書くのは、どれだけぶりになるだろう。でも、久しぶりに書いてみたくなりましたので
ちょっと書いてみます。
今回のはちょっと、暗い内容になりますので、ご承知おき頂ければ嬉しいですm(__)m
昨日の七夕は、実家の父の7回目の命日でした。
ちょうど、娘が小学校に入学した年ですね。
7月3日、父から電話が来て話したのが、父の声を聞いた最後でした。
7月5日の夕方、母から父が最寄沿線のJ駅で突然倒れて、病院に搬送されたと連絡がありました。
かなりびっくりしましたが、また連絡するとの事で1回受話器を置きましたが、また夜に電話。
どうやら父が危篤状態だと・・・。
これは行かないとと思い、夕食終えてから、娘を主人の実家に預け、母と妹がいます、世田谷の父が入院しています救急病院へ。
集中治療室の目まで行きましたら、母と妹が疲れた様子で待っていてくれました。
父は相変わらず危篤状態…
とりあえず、1時間ほどいまして実家に皆で戻りまして、泊まりました。
次の日、主人が朝早く家に戻り、実家にも行きまして娘を連れてきてくれました。学校には休みの届け出を出しておきました。
父の妹さん(昨年亡くなられました)と、娘さんと息子さんも来て下さって、父の酔うy台を心配して下さっていました。 父はずっとチューブと機械につながれたまま、容体は変わらずでした。
そして、7月7日の土曜日の午後、病院から連絡があり、父の容体が急変したと。
慌てて病院へかけつけましたら、父はすでに脳死状態・・・。
そして厳しい選択が待っていました。担当医の先生から、チューブを外して死を待つか
かなりの金額がかかるが、繋いだままで命をつなげるか・・・
でもそれをするには、普通の家族にはとても無理な金額です。月数十万かかるとか・・・。
家族で話し合い、家族のこれからの事も考えて、チューブを取って本人の生命力に任せることにしました。
そして数分後、父は天国へ・・・
本当に、この時は辛かったです。45年連れ添った母も同じ気持ちだったでしょう・・・。
この時だけは、本当に泣きました。泣いて泣いて、泣きました。
書道家で、毎日元気動き回って、糖尿病や心筋梗塞も患っていてペースメーカーも入れていた父ですが
それを感じさせないくらい元気だと思っていましたが…
ここには書きませんが、あんなことで命を落とすようになるなんて…という原因でした。
その後は本当に忙しく、私が葬儀までの1週間ほど実家にいて葬儀の準備の手伝いをしたり、母の話し相手になって上げたりしました。家に戻った主人と娘は、何とか遅刻しないで学校にも行ったようですが
大変だったことを聞きました。葬儀が終わって、家の片づけなどもして、落ち着いたのが、夏休みも終わる頃。ちょっとだけ、海に行った思い出があります。
人1人亡くなるのって、本当に大変ですし、精神的にも体力的にも疲れがきます。
当時は、mxiの日記に上げたりしましたが、友人からは、とりあえずしっかり食べて!とアドバイスされたことを覚えています。
夏休みに入ったばかりで、暑さにもやられていたので、本当このアドバイスは心に響きました。
悲しんでいる暇は、本当になかったです、当時は。
落ち着いた時に、じわじわとくるのですよね・・・。
父とは色々ありましたが、やっぱり今となっては、感謝しかありません。
7年たった今、やっと母も私も落ち着きました。
今は、主人の父が膝を悪くし、歩けなくなってしまい療養施設に入りましたが、状態はあまり良くなく、義母もショックからか体調が良くなく、引き込もりがちなので、主人が時々行って励ましていたりします。
親が元気なうちに、出来るだけ親孝行したいと本当この年になって思うようになりました。
明日どうなるかわからないですから、今のうちに、ありがとうの気持ちは、しっかり伝えておかないといけませんね^^
長くなってしまい、申し訳ないですm(__)m
どうしても今、この気持ちを残しておきたいと思っていましたので、色々書いてしまいました。
また近いうちに、私の近況なども書きたいと思います。
それでは、長い日記、見て下さってありがとうございましたm(__)m