無用の聴物 | さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

酒場であったあんなこと、こんなこと。そんなことを書いてます。ほとんど、妄想、作話ですが。

車の運転をするようになって、もう30年以上になるが、俺は、一度もクラクションを鳴らしたことがない。

危ないと思ったら、ブレーキを踏めばいいだけのことだし、前方に何かを伝えたければ、ライトをパッシングすればいい。

クラクションは、煩いだけで、何の役にも立たないものなのだ。

人々は、ただ自分の鬱憤を晴らすがためだけにそれを鳴らしているとしかおもえない。

「テレテレ走ってるんじゃねえ、道開けろ、ブー!」

「俺様の前で車線変更してんじゃねえ、ぼけ!ブー!」

「いきなりブレーキ踏むな、ブー!」

「チャリが車道の真ん中走ってんじゃねえ!ブー!」

「信号青に変わったぞ!ブー!」

「猫!道路の真ん中に寝そべってんじゃねえ!ブー!」

「こんなとこに路駐してんじゃねえ、ブー!」

言うまでもないが、どんな場合においてもブー!は不要だ。

ブー!なしで、全てが解決できる。

言い方を変えれば、ブー!では何も解決されない。

強いて、ブー!が役立つ状況といえば、ブレーキが壊れたときくらいだろう。

いくらブレーキを踏んでも車が止まらない。

サイドブレーキを引いても、こっちも故障。

車のスピードは上がるばかり。

このままでは他の車や歩行者にぶつかってしまう。

自分ではどうしようもできない分、クラクションを鳴らし続け、向こうにこっちの緊急事態に気づいてもらい、避けてもらうしかない。

そういうときのクラクションは、救急車やパトカーのサイレン同様、意味があるだろう。

しかし、ブレーキが利かなくなる状況というのは、そうそう滅多に起こらないものだ。

 

先日、交差点の右折ラインに並ぶ俺の前には一台の乗用車がいた。

信号の右折OKの矢印が点灯したが、その車は止まったままだった。

背後から観察するに、どうやら、運転手は俯いており、スマホでも見ているようだった。

俺はライトをパッシングしてあげた。

しかし、運転手は相変わらず俯いたままだった。

仕方なく、俺は車を降りると、前の車まで行き、窓をこんこんと叩いてあげた。

案の定、彼はスマホを見ていた。窓を叩いた俺に気づくと、顔をあげ、慌てて、車を発進させた。

俺が自分の車に戻った頃には、信号はすでに赤に変わっていた。

運転席に座った俺に、俺の背後にいた車が、「ブーーーーーーーー!」と気持ち長めのクラクションを、送ってくれた。

それで、赤に変わってしまった信号が、すぐに青に変わってくれれば、いいのだけどね。

 

話変わって、この日は、今年お初の、神保町で飲んだ。

シウマイがあって嬉しかった。

 

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