[米談義]
4月 熱血青春米
暫く、日を見ていない。
ここ数日の、傘もいらない程度の小雨が降り続く実に五月らしい長雨が少しずつ心にもやをかけている。
古くから人々の琴線に触れてやまない雨は、その表現の多さもさることながら春夏秋冬を問わず多くの和歌や文学に登場する。
ちょうどこの前台東病院に掛かった後辺りを散策し、良い機会だと訪れた一葉記念館で下書き原稿を見た『たけくらべ』も、雨が印象的な役割を果たす作品の一つである。
美登利と信如のすれ違う恋が鮮明に描かれた『たけくらべ』のラストシーンに繋がるある場面。雨の中、家の前で鼻緒の切れた信如に気づいた美登利が照れつつも役に立ちたいと紅い友仙を投げるが信如は素直に受け取れず、結局打ち捨てられたまま雨に打たれた友仙にやるせなさを感じるのは自分一人ではないだろう。
米の成長には欠かせないとは知りつつも、『たけくらべ』や『羅生門』然り作品を暗く印象づけるのは雨であり、殊、人々の生活において「天気が悪い」と言えば雨なのである。
ただ、幸い太陽に勝るとも劣らないまばゆさを放つものを知っている。

今日も米を炊こう。
それも土鍋で。

気分が落ち込んでいる時にこそ、美味しい米を炊く。輝く米を見れば、心が晴れる。
炊くのは佐渡総合高校が育てたコシヒカリの熱血青春米。心のもやを吹き飛ばすのにもってこいのネーミングである。
梅雨寒の今日は浸水は長めに50分ほどにし、その間に米を際立てるアテを用意する。冷蔵庫を開け、すぐさま好物である揚げ出し豆腐と揚げ茄子に心を決めた。
半分にした茄子に十字の切り込みを入れて水にさらしアクを抜き、その間木綿豆腐を一口大に切り分け水気を取っておく。
また、つゆとして水、めんつゆ、みりん、砂糖、白だしを混ぜたものをラップにかけ、レンチンする。
アクの抜けた茄子と水気の取れた木綿豆腐に片栗粉を振りかけているうちに50分が経過したので、米を火にかけた。
例によって12分のタイマーをセットし、そのうちに豆腐と茄子を揚げる。縦並びの2口コンロで土鍋と大きなフライパンは併用出来ず、小さなフライパンで少しずつ揚げていると、タイマーがなった。米を蒸らしの工程に入れ、揚がった豆腐と茄子につゆをかけ、鰹節と刻み葱をトッピングした。
蒸らしが終わり蓋を開けると、一面に萌える若葉を思わせる、期待に満ちた真白い明るさが広がった。
心頭にすでに雨の煩慮などなく食欲の奴隷となった自己を認識し、しかし恥じることなく本能のまま茶碗によそう様は、かつて野球部だった頃の育ち盛りの自分そのものであった。
茶碗いっぱいの米と好物の揚げ出し豆腐、揚げ茄子を前に我慢することなど至難の業であり、いただきますも適当に大口で米を出迎えた。すると噛む前に形容し難い芳醇な香りが鼻腔を刺激し、ますます食欲を掻き立て口の動きはいつもの数倍の速さとなった。噛むとストレートな甘さが脳を喜ばせ、強い粘り気がもう一回、もう一回と顎を動かす原動力となった。
揚げ出し豆腐と揚げ茄子との相性はどうかと、鰹節と刻み葱を絡ませ米とともに口に放り込む。鰹節でブーストされ出汁の効いたつゆに、しゅんだ豆腐、茄子の食感が刻み葱に支えられ、味覚・食感ともに満点を叩き出したアテに敗北を喫するかと頭をよぎったが、すぐに熱血青春米が巻き返してきた。佐渡総合高校の米にかける熱量をそのままに伝える米の出来栄えに素直に驚いた。
お立ち台に上がったのは米の粘り強さである。この熱戦を制する決定打を放ち、シーソーゲームとなった今日の夕食に終止符を打った。

満腹感と満足感に身を委ねていると、やや紫がかった色味の樋口一葉の姿が脳裏を過ぎた。5000円札である。
明治時代という時代背景の中、22歳の若き女性が筆一本で次々と生み出した「たけくらべ」を始めとする作品達は幸田露伴や森鴎外など後の文豪に絶賛された。その功績は100年経った今でも作品を手に取る事は無論、女性の社会進出への貢献度の高さから一葉自身が紙幣となって存在している。
若き熱量と努力が産み出した佐渡島総合高校の「青春熱血米」も、樋口一葉が紡いだ「たけくらべ」のように長く多くの食卓を彩ってもらいたい。