[米談義]
5月 銀河のしずく
エラ呼吸したい。
近頃湿気の多さにすっかり参っている。体中に薄い水の膜が張られている気がする。
晴れていても変わらないから不思議だ。
肺を使った呼吸にはもう限界がきたように、人間はもはや水中で生活した方がいいのではないか、そう思ってしまう程度には梅雨の蒸し暑さに自身の脳が溶けてしまったのだろう。
そのように考え観ていたニュースで「人工エラ」なるものの存在を知った。
人間に外側から機械でできた人工的なエラを取り付けることによって、水中でも呼吸できるようにするという装置が開発されたのだという。
「インダストリアル肉体」。
人工エラについて知ったと同時に思い浮かんだ造語である。
科学の発展に伴って、本来有機物的存在である我々人間は様々にインダストリアルな産業的及び工業的製品、または無機的製品を身につけることによって、この地球という環境に適応してきた。
自分が今タイプしているパソコンも、おこんさんに誕生日祝いで頂いた包丁も全てインダストリアライゼーションの産物であり、それが人間である自分の一部となっているのである。
そうなると当然、通常言う肉体と同じくインダストリアル肉体にも手入れが必要で、包丁研ぎ器という無機的製品を買ってきて研磨する。
こうしてインダストリアル肉体化はどんどん進行していくように思えたが、どこまで行っても人間は無機物にはなり得ないのもまた事実であり、その根本は食欲など有機的な衝動である。
腹が鳴った。心配せずとも、まだまだ有機的肉体でありそうだ。
研いだばかりの包丁の矛先に今日市場で買ってきた新鮮なイナダを冷蔵庫から取り出し夕飯の支度をする。

今日も米を炊こう。
それも土鍋で。

魚を一から捌くのは初めてだったが、情報媒体の発展は三枚おろしすらひどく容易に変えてしまう。
例により米を水に浸し、イナダを俎に乗せ鱗を取っていく。贅沢にもおこんさんに牛刀2丁と刺身包丁1丁を頂いたので、小さい牛刀で鱗を取り、大きい牛刀で3枚におろしていくこととした。
次に両面の胸びれの下に切り込みを入れて頭を落とすのだが、なかなかどうして出刃包丁でない為、骨を断つのに苦労した。
内臓を取り出し洗う際には、踊り食いでも感じなかった命を頂く感覚が芽生えた。
無機的な存在になりつつあると自惚れていたが、この体験が有機的連綿の中に確かにいることの頂門の一針となった。
その後血合いに切り込みを入れ、洗って丁寧に拭き取り、背と腹から背骨、中骨に沿っておろせば2枚おろし、反対側も同様に行えば3枚おろしとなる。
腹骨をすき切って皮を剥いた後、刺身包丁に持ち替え、もはや完全に自身の裁量下となった切り身を最大限の一口大にカットしていった。
米の浸水を終えタイマーをセットして火にかけ、切った刺身を皿に盛り付けていく。
またこの機会にと切り落とした頭や内臓を鍋に入れ、味噌と合わせた粗汁を作った。煮込んでいる間にタイマーがなったので再びタイマーをセットし蒸らすのだが、この時間さえ無駄にはしない。
三枚おろしにして分離された骨の部分を素揚げにし、塩胡椒を振りかけた。
余すことなく命を頂く調理の進歩に感服し、食前の挨拶に喉の緊張を感じた。

いただきます。

まずは米を一口。炊く前に感じた甘い匂いや艶やかな白さからは想像のつかないワイルドな香りが顔を覗かせたかと思えば、口触りは上品でさらっと流れていく。一方で粘り気もしっかりしていて、食感も長く楽しむことができる。
イナダと食べるとどうか。
夏が旬で、脂は少なくあっさりとした味わいが特徴のイナダを山葵醬油につけ、米とともに口に運ぶ。若魚らしい脂の甘みに米の甘みが良く合い、噛み応えある刺身を米の粘り気が包んでいく。素晴らしい相性である。
次に粗汁とではどうか。特に処理もせずそのまま煮込んだが故の臭みはあるが、それを打ち消す程の濃い出汁と旨味が舌を直撃し、味噌の旨味も相まって米の旨味を増幅させていく。これまた素晴らしい相性である。
今日の「銀河のしずく」は、岩手の新しいブランド米で「銀河」はキラキラと光る星空からお米一粒一粒の輝きを、また宮沢賢治の作品のタイトルの連想から間接的に「岩手」をイメージさせ、「しずく」は、このお米の特性である、つや、白さなど、美味しさを表現しているそうだ。
これまで『あきたこまち』や『ひとめぼれ』を手がけ、岩手で栽培したお米でも「秋田のお米ですか?」と聞かれ感じていた悔しさから生産者が誇れる岩手オリジナルの米を、と平成18年に始まった開発が平成27年に実を結び県奨励品種に採用された。地域で決めた栽培ルールに従い肥料を極力抑えて栽培し、食味が落ちないようにしているため、この美味しさを実現できているのだと言う。
命を頂くことの感謝や、米の美味しさの成り立ちをこうして実感できているのも自身の有機性の確かな根拠である。
体表とは裏腹に渇いていた無機的心象に一滴、しかし膨大なエネルギーを持って垂らされることとなった。