ようやく書ける時が来たので、ちょっとこの辺で一旦、アウトプットをしておきたいと思い、これを書き始めています。

 

 

 

今でもハッキリ覚えてるんですが、あれは7年前の2016年。

 

バリに行き始めることになる最初の数ヶ月間の活動を終えて日本に帰ってきた時のことでした。

 

僕はバリで出会った友達やみんなのことが、ものすごく恋しくて、

 

一人部屋で写真や動画を見返しては涙を流すくらい寂しくて恋しかった。

 

 

それくらい僕にとっては、求めていた愛着が満たされるような、

 

人とのつながりが感じられた日々でもあったのだと思います。

 

 

 

数ヶ月間の日本滞在(休息と次に向けての準備)を終えて再びバリに戻り、

 

活動のハイシーズンである約半年間の雨季の掃除が終わり、

 

日本に帰って来ると、また耐え難い寂しさに襲われた。

 

 

 

でも寂しさだけではない。

 

なんだかとても"虚しい"のだ。

 

空虚感を感じ、その正体は何なのかと心の中を覗いてみると、

 

まるで実際に目に見えるような、"真っ暗な穴"が空いていた。

 

 

その真っ暗な穴はとても空虚に満ちていて、

 

その穴を見ているとすべてが無意味のように思えた。

 

 

生きている喜びや実感は、まるでブラックホールのように、

 

その穴の中に中に吸い込まれて行き、

 

この現実に残されているものは、吸い込まれ切った後に残ったもので、

 

僕自身までその穴に吸い込まれないように、

 

必死に抵抗しているような焦りが常に無意識下にあるのを見つけた。

 

僕はいつも何かに焦り、不安を感じていた。

 

 

ただ、それが一体何なのか、

 

理由のわからないこの空虚感にすでに名前はあるのか、

 

様々な文献に手がかりを求めたけれど、核心に至る手がかりは掴めなかった。

 

 

 

雨季になり、バリに戻って活動が再開すると、毎回、心の中の空虚感は嘘のように消え去った。

 

僕の心は、やる気や使命感で満ち、

 

"自分はこのために生まれてきた"と思えるような、内なる輝きと生きがいを感じた。

 

僕にとってその感覚は日本では感じたことのないほどの高い領域の喜びだった。

 

"バリの未来を、バリの人たちと共に、今まさに創り上げている"

 

そんな手応えや、その一員であるという実感を毎日のように感じていた。

 

 

 

ただ無条件に喜びを感じるものではなく、

 

雨季には毎日のように何十トンというプラスチックゴミが砂浜に流れ着くため、

 

ゴミで覆われた現場に立つことは、

 

喜びの大きさと比例するくらいの切羽詰まった危機感とも日々向き合うということで、

 

心の中にはいつも危機感に対しての焦りがあり、

 

喜びというのは、その危機感に対して、

 

バリの人たちと共に立ち向かう中で、

 

目の前の現状と、『どうにかしたい』という想いとが衝突し合う中で生じる"閃光"のようなものでもあると感じます。

 

 

 

 

そしてバリにずっといれば、空虚感を感じることは無いのかというと、そうでもなく、

 

活動のハイシーズンの雨季が終わりに近づき、

 

時間や気持ちのゆとりができ始めると、

 

バリに居ても、心の中にあのすべてを吸い込もうとする空虚な真っ暗な穴が出現し始めるのです。

 

『何かをすればいい』確かにそう思うのですが、それさえも困難なほどの"虚しさ"なのです。

 

 

 

あまり例のないようなサイクルの生き方をしているので、なかなか人にも伝わらず、

 

あらゆる学問や見地から、その正体を突き止めようと努力してきましたが、

 

有力な手がかりが掴めないまま8年目。

 

遂に、待ち望んだ哲学書が登場しました...。

 

それがこちら。

 

 

 

2022年、東大・京大で一番読まれた本という國分功一郎さん著『暇と退屈の倫理学』。

 

 

そして、

 

 

 
 

 

次は、ジェームズ・ダンカート&ジョン・D・イーストウッド著、

 

『暇と退屈の心理学』です。

 

※この2冊はタイトルは似ていますが、倫理学と心理学になっています。

 

 

 

僕にとってこの本は、松明(たいまつ)です。

 

今まで踏み込む術がなかった真っ暗な空虚の中に何があるのか、照らしてくれる光です。

 

 

 

『暇と退屈』という言葉から真っ先に連想する、

 

『あ〜あ、なんかヒマだなぁ』という段階の暇というより、

 

『生きることの背景にあるもの』の本質を解き明かそうと試みるような内容です。

 

 

 

『暇と退屈の心理学』の中の冒頭に象徴的なこのような一文があります。

 

ハイデッカーにとって最も重要なのは、

 

退屈の第三段階となる『深い退屈』である。

 

この退屈には対象も原因もない。

 

深い退屈は、時間を超越したある種の空虚であり、なかをのぞくと恐ろしい現実が見える。

 

※ハイデッカーは『人間の退屈には三段階ある』と提唱したドイツの学者。

 

 

 

まさに僕が長年、姿形が見えず苦しんできた漠然としたものの対象に、ようやく理解者が現れた気持ちです...。

 

 

 

そんなもの無いかのように、忙しさで埋めることで、向き合わずに進むことも、もしかしたら出来るのかも知れません。

 

ただ、それで空虚は消え去ったわけではなく、

 

そうしている時にも、人生の足元に横たわり続け、わずかな隙を見せた途端、飲み込み始めるのです。

 

 

 

哲学の松明を手に、空虚な穴に迫り、理解を深めることで、

 

僕はこれからまた僕が踏み出す一歩に、確かなものを見出して行けるのだと思います。

 

(こうして今、言葉にできていることが大きな前進!)

 

またみんなにも必要となるような言葉が見つかれば、書いていこうと思います。

 

 

 

 

ちなみに内容についてですが、、、

 

國分功一郎さん著の『暇と退屈の倫理学』を、僕なりに短く説明すると、、、

 

これまでの人類の歴史から現代に至るまでの全体を俯瞰し、

 

かつ、過去から現在の人々の日常や革命の心理の裏にある"暇"を、

 

現時点での限界まで哲学(根本原理の追求)した内容で、

 

 

 

ジェームズ・ダンカート&ジョン・D・イーストウッド著の『暇と退屈の心理学』は、

 

現在の科学的な見地も踏まえて空虚に迫るもので、

 

まだ途中ですが、『暇と退屈の倫理学』を読み、土台を作り上げてからの流れから読むと、

 

より情動に訴えかけるもので、

 

待ち望んだ言葉に、これこれ!と心の中で声を上げながら読み進めています。

 

一点。帯の『暇だし、退屈でたまらない・・・』という言葉にはかなり浅さを感じますが、

 

実際にはハイデッカーの提唱する退屈の第三段階目の『空虚で恐ろしい、深い退屈』まで網羅したものです。

 

 

どちらも、長年苦しんできた人にとっては、蜘蛛の糸となるような内容だと思うでので、ぜひ読んでみてくださいね!

 

読んでくれてありがとう!

 

 

 

 

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