これからどうやって生きていくかの指針を探しているとき、

 

『将来の目標や夢は"具体的"にイメージしましょう』

 

という言葉とよく出会ったりすることがあると思います。

 

 

でも自分がどのように生きていけばいいか探している時には、

 

自分が本当にやりたいことは何なのか、自分に何ができるのか、分からなかったりします。

 

 

 

これは、

 

アフリカのガボン共和国という国の人々への医療活動に生涯を捧げ、

 

のちにノーベル平和賞も受賞された、

 

ドイツ人の『シュヴァイツァー(1875~1965)』さんが、

 

まだ自分の道を探していた、二十一歳の時の言葉です。

 

 

 

『ある晴れた夏の朝…眼が覚めたとき、

 

私はこの幸福をあたりまえのこととして受けとってはいけない、

 

そのおかえしとして何か与えなくてはいけない、という考えが浮かんだ。

 

 

外で鳥が鳴いている間、私はこのことをただちに静かに考えてみて、

 

起床するまでに次のことを自分に対して約束した。

 

 

即ち自分は三十歳までは学問と芸術のために生きてよいことにするが、

 

それ以降は人類への直接奉仕に身をささげようと。

 

 

…今や問題の解答が発見せられた。

 

外面的な幸福に加えて今や私は内面的な幸福をも持つようになった。

 

 

この将来に計画された仕事の性質がどんなものであるかはまだ私には明らかではなかった。

 

それは事のなりゆきが導いてくれるに任せた。』

 

 

『生きがいについて』神谷美恵子コレクションより

 

 

 

ここで僕がすごく共感したのが最後の2行です。

 

二十一歳のシュヴァイツァーは、

 

『三十歳になったら人類への直接奉仕に身をささげよう』と決めた。

 

でもそのために何をしたらいいのか、まだ分からなかった。

 

しかしきっと何かが導いてくれるだろう、と。

 

 

 

そこから月日が経ったある日、

 

シュヴァイツァーは、ある宣教団の報告書を目にします。

 

そこに書かれてあった内容は、アフリカのガボン共和国の人々が、

 

さまざまな病気や疫病で苦しんでいるというものでした。

 

 

 

『これこそが生涯をかけて奉仕するべきものだ』

 

と見つけたシュヴァイツァーは医師の道を志し、

 

ガボン共和国の人々の命を救ってゆくことになります。

 

それがシュヴァイツァー三十歳の年でした。

 

 

 

 

僕も社会に出る前も出てからも、

 

『将来は世界に出て人の役に立つような生き方をしたい』と夢見ました。

 

でもどんな形で、どう人の役に立てれるのかわかりませんでした。

 

でもね、漠然とでいい。

 

夢を話せば馬鹿にされたり笑われたり、

 

これは夢じゃなくて、非現実的な"妄想"なんじゃないかと怖くなってしまうかも知れないけど、

 

でも『自分はこんなことをして生きていきたい』と求め続けていると、

 

シュヴァイツァーが人生を変える一冊の報告書と出会ったような、

 

転機となる出来事や人の出会いが、不思議なのですがやってきます。

 

 

 

その一つ一つの出来事や出会いをつなぎ合わせて行くことで、

 

今は誰も信じてくれなくても、

 

夢が少しづつ形作られ、やがて現実となってあなたの目の前に現れ始める時がきます。

 

 

 

 

 

きのうはこちらのお方と再会ウインク

 

お互いたくさんの経験を経たこの半年間をシェアしました。

 

 

 

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バリ島で8年間、掃除を続けて来た結果、まさかのインドネシアの観光大臣とコラボレーションさせて頂きました😢✨

 

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