ちょっと恥ずかしいけど、こういう理由で、みんなが仲良く気持ちよく成長していけるスタジオをこれからもみんなで運営していきます。笑


下記シェア


【鉄扇と私と父への手紙】

母の日…息子のおかげで、私は

《母》という役を頂いたのだなぁと、

再び心の中で手を合わせた日…


鉄扇のズッシリとした重さに

実戦を実感しつつ…


母と別れ、寂しくなった父からの

一方的なメッセージを 


まとめて開封しました。


実父の手紙の内容はいつも同じです…

彼がいかに優秀で、何度国から表彰され、

誰に助言をし、誰が頭を下げに来て、

自分が如何に苦労し、

それに比べて

私と弟がどれほど愚鈍で残念であるか…

が書かれています。


そのようなメッセージをここ5.6年…


子供の頃はそれが対面であったので、

私は14歳で半独立しました。


当時もグレる気なんてさらさらなく、

変わらずガリ勉と同時に芸能活動で生活費を

稼ぎつつ、学校と仕事の両立+ココロの学び、

健康の学び、自己啓発に

明け暮れる日々でした。


長い長い人間研究、


幸せってなんなのか?


成功ってなんなんのか?


ずっと真摯に研究しながら

随分といろんな人達に会いました。


芸能界で衝撃のパンチ力だったのは

キタノタケシさんでした。


オーディションの最終選考で、…芸能界を

半分舐めていたワタシが、

初めてオーラのある人間に出会った瞬間でした。


《死にかけて死なない人には何か使命があるのだ》と思ったのはその時でした。


【社長】という意味では、やっぱり

三木谷さんはすごいと思う。


私の恩師の娘さんが、心臓移植の為の

募金活動を始めた時…


真っ先に連絡をくれて、その時できる限りのことをしてくれたのは、彼だけだった、


あれから10数年…楽天が、

こんなにも大きく、強く、なるなんて、、、

想像すらしていなかった私は、


「もっとビジネスも学んでおけばよかった」


と自分の不甲斐なさに苦笑したものです。


10数年の間に…恩人の何人かは亡くなり…


人生の先輩の何人かは

いまだに気遣ってくださいます。

(本当にありがとうございます。)


そういう、社会の中での、

兄や姉的存在に支えられて


私ももう、年齢的には

立派な〈オバチャン〉なのですが


…今回、実父のおかげで、

強く心に残った想いがあるので

シェアします。。。


先に述べた内容の手紙は、、

どれも似たり寄ったりなので、全て熟読するのは、ココロの強さと労力を要するのですが

(苦笑)


今回初めて私は、実父に〈偉そうなこと〉を

返信しました。


これまでは《父》という存在に対して、畏敬の念を持つべき…と、彼が当然わかっているであろうことは《娘》(後藤家の場合コレは息子の出来損ないと同義語)なんかである私が言うのは恐れ多いと、

口を噤む場面も多かったのですが…


…なんと言うか…


私ももう〈オバチャン〉の年齢ですからね。


別に「老いては子に従え」と言いたい訳じゃないんです…ただ、お世話になった年数の倍以上、

私も実父の作った家庭の外で生き延びた訳ですから…というワケで…


下記を書き終えて、


これは私の人生でこれから絶対に

【忘れてはならないことだ】

〈自分の為の教訓なのだ〉と思ったので、


ここに残すと共に、


同じ人間として、

〈言葉に出来てなかったけれど知っていた〉

誰かの為のメモにもなればいいな。

と思った次第です。


〜手紙〜


「…あなたがこの世を去る時、賞状と札束は全て、ただの紙切れになり、あなたがもらったメダルと硬貨の全ては、ただの金属片になります。


人の価値は、もらった賞状の多さや、稼いだ金額ではなく、


どれだけ周りの人を愛して、愛されて、人と協力して、次世代のために何を成し遂げたのであるか?と私は考えます。


愛することを真摯に学ぶために、家庭というのは素晴らしい学舎であり、生まれたての赤ん坊から学ぶことは本当に多いです。


彼らは言葉も使わずに、私たちに無条件の愛を与えて、人間がSOSを出すことは双方にとって必要で、支え合うことの素晴らしさを教えてくれます。


母になった時、

私はこの子を失いたくないと思いました。


その日から彼が泣くのは私の為でもありました。


私に何をすべきか考えさせ、母になる為の学びを与え、私が※彼を失わないために※ミルクを与えさせる…


私の方が〈与えさせて頂いている〉のです。


なぜなら私こそが、

彼を失いたくないと思っているのだから。


私は息子の存在のおかげで、

そういう愛を知りました。


あなたが毛等だ、甲斐性なしだというパートナーは、あなたのように学舎(家庭)を壊してしまうことなく、今も私と共に学んで、共に成長をしています。


人は自然に老いるのではなく…成長することを放棄したり、諦めたりした時に、言い訳をして若さを手放すのだと思います。


あなたは、確かに、私では決してされることのない表彰をされ、肩書きを持ち、経済的にも今の私よりかはよっぽど成功されたかもしれない…


でも、私だって、あなたでは知り得ない人脈を持ち、表彰をされ…と、…気付きませんか?


表彰状も人脈も〈武器〉では無いのに、

どうして争ったり、競ったり、

上下で測ろうとするのでしょうか。


先に生まれて、先に多くを経験し、経済的に守り、与えてくれたことには、今でも感謝しかありませんが、


私は周りの人間と、あなたが辞めかけている学びを、諦めることなく続け、


愛し合って、協力しあって、

この世に残したい、人と分かち合いたいダンスや武術があって…人としての学びがあって、


とても幸せです。なので今は自分を

あなたの言うほど〈出来損ない〉だとか、

〈残念な存在〉とは信じられなくなりました。


あなたが〈愛されようと必須にご自身を正当化〉ばかりされるので、私は必死に《尊敬》で、《謝罪》で、《結果を出すことで》あなたを愛そうと努力してきましたが、


これまで気づいていても告げていなかったことがあるので、今日はそれを伝えさせてください。


私は、愛されたければ、

〈自分が先に愛を示すこと〉を

社会から教わりました。


父は、それに気づいていますか?


「俺は偉い、俺はすごい」(認められたい、

愛されたい)は、わかります。


でも、父は、「愛そう」「愛を伝えよう」「感謝できるところを探そう」という愛の交流を

最近も…試みたでしょうか?


そして、愛された時に、それを

〈受け止める器〉を、


ちゃんと心に魂に、育てているでしょうか?


私がどんな形で愛を表現しても…


自分の意に沿わないカタチであれば

捨て置かれてしまう…


何千回、何万回と心を込めて贈り物(行動、言葉、物、人)をしても


受け取る側に準備がなければ


見えない、聞こえない、覚えがない、と

言われてしまう…


相手の気持ちを考えたことはありますか?


父に「ダメだ」「残念だ」と言われた時の

私や弟や、母の気持ちを想像してみたら、

何か気づくかもしれません…。


〈罵倒に耐えられる人だけが自分を愛している〉と言うのは、それは愛でしょうか?


期待に応えられなければ

「だからお前はダメだ」と言われて…


弟が、母が、友人が…


距離を置くのは、当然のことであると

私には理解ができます。


こう書いても、

父には伝わらないのかもしれませんね。


言葉が拙く申し訳ありませんが


『人に求める前に、自分から差し出して、

愛されようとする前に、愛せる人であろうとすること』を努力し


『一つでも二つでも、良いことに目を向けて、

感謝できる事を探せば』


今日が最後の日でも、良い人生だったと思えると思います。


寂しいのは、人のせいではありません。


なぜなら自分の人生のハンドルは、いつだって自分しか握り得ないからです。


これまで、数々の武勇伝を残した父だからこそ、

残りの人生を、悔いなく生きるために、

人を愛せるエキスパートになって欲しいと思います。


お身体お気をつけて。


(↑書きながら自分にも言い聞かせていました、死んだ後、自分の存在は、人の記憶の中にしか残らない、だから、私は、多くの人に、宏美は自分を愛してくれたな、と思い出すたびに、元気が出たり、幸せを感じられる存在になりたいと思います。)


長文ごめんね。みんなという大きな家族があって

私は本当に幸せです。



宏美


HiromiEva