HSPとエンパスについて考えていたら、ちょっと面白い?例えを思い付いたので書きます。
誰かが使っていた例えかもしれませんし、的確に表現出来ているかはわかりませんが。


HSPとエンパスは「射撃」で例えられるなと思いました。

エンパスの人は、相手の気持ちが分かってしまって辛いと聞きます。
これは、射撃で言ったら、1発弾を撃てば的に当たる。
つまり、命中精度100%の弾って事ですね。
人と会ったり、人に触れれば(弾を一発撃てば)相手の気持ちが分かってしまう(的に当たってしまう)って表現できるのではと思いました。


逆にHSPの人は、1つの的に対して、何発も撃ってしまう(いろんな方向や、細かな物事に対して、たくさん思考する、推測する)
又は、1つの的に対して、たくさん撃たないと納得できない(この事を考えるなら、こっちにも、あっちにも考えを巡らせないと納得できない)


どちらも命中精度の話ですが、エンパスは、命中精度が高過ぎて困っている。
HSPは、命中精度が低すぎて、1つの的に対して撃つ弾が多過ぎて困っている。


エンパスの人は、直感(感覚)で撃った一発が当たりすぎて(相手の気持ちが分かりすぎて)困っている。疲れている。


HSPの人は、1つの的(出来事)に対して、20発も30発も撃ってしまう(相手の表情や仕草から、相手はどういう感情なのか、自分にとって心地よい空間かどうか、神経は高ぶっているかなどなど、考えを巡らせる)
そして、何発も撃たないと当たらない事に不安になってくるので、もっと撃つ。
撃てば撃つほど命中精度が低くなってくるので自尊心も低くなりやすい(1つの的に対して、50発も撃っている自分は駄目だ、自分はこんなに撃たないと当たらないんだ…)
HSPはこんな風に考えやすいのかなと。
そして、困っていて、疲れやすいのかなと。


たぶん、非HSPは5発くらい撃てば的に当てるか、5発撃てば満足する。
それを基準に行動すると、HSPは大変になる。
5発撃ってるように周りには見せて、実は20発も30発も撃っている。
これでは、肉体的にも精神的にもくたくたになる。


HSP=エンパスという表現に違和感を感じるのは、どちらも命中精度の話ではあるけど、悩んでいる原因が、ほぼ真逆に近いからだと思った。
一発の弾が当たりすぎて困っている人と、弾が当たらなすぎて、1つの的に対して撃つ弾が多過ぎて困っている人とでは、共感できなくて当たり前なのでは?と思ったからだ。


なので、HSPとエンパスは違うし、
HSP=エンパスではないと自分は思っている。




自分はエンパスでは無いので、HSPの説明の方が多くなってしまいましたが。