日本滞在、4日目。

まだまだ時差ボケで

早朝(というか、むしろ真夜中)に

目が覚めてしまいます。

しかもかいぽんハイパーで

部屋の中で騒ぐ・・・

アメリカの自宅であれば

何時に走り回っても叫んでも

問題ありませんが

ここは神戸市中央区

都会のマンションの一室。

隣室の住民に迷惑がかかってしまうと思い

何処か連れ出せる所はないかと

慌ててネットでサーチ・・・・



たまたま今いるマンションのすぐ裏に

オールナイトでやってる銭湯があったので

早速連れ出すことにしました。

時刻は朝の4時半です。



誰もいないかと思ったらいやいや・・・・

すでに沢山の人で賑わっていました。

みなさん早起きですね。

かいぽん銭湯初体験。

かなり気に入った様子でした。

やっぱり銭湯って気持ちがいいね~!




銭湯から帰って疲れて

変な時間にまた寝始めるかいぽん。

まぁ、朝から騒がれて

隣室から苦情が出るよりマシなのでいいです汗

都会のマンションで

小さな子供を育てるって大変ね。

ただでさえストレスの多い幼児の子育てに加え

隣室ご近所へも気を使わなくてはいけないという状況は

かなりストレスかも・・・・



さて、今日はいよいよ

物件の契約と決済の日。

ローンを組む場合は

契約だけで、完済した時に決済の手続きをしますが

現金買いなので

契約と決済を同日に行います。

早速売り主さんの所へ

不動産屋さんと、行政書士の先生と

一緒に伺うことになりました。

とてもかいぽんは連れて行けないので

今日は一時保育に預けることにしました。

マンションから徒歩3分ぐらいの所に

一時保育があってとても助かっています。

三ノ宮って本当に便利ドキドキ



近くの定食屋さんで

豚ミソ野菜炒めを食べて腹ごしらえを済ませ

いざ出陣ビックリマーク.

普通は銀行で取り引きを行うんですが

売り主さんが高齢の為

売り主さんがお住まいの老人ホームへ。

有馬温泉のすぐ近くの山の中の集落でした。

ホームの応接室で待っていると

売り主ご夫婦がいらっしゃいました。

年は90歳近く

お二人とも

歩行補助機を使って歩いておられました。

ご夫婦の娘さんも一緒でした。

彼女は65歳とのことで

ちょうど私の親ぐらいの年齢になります。

契約と決済、現金の引き渡しなど

一連の手続きが終わり

売り主さんもホッとされたのか

家に関する思い出話や

今までの人生に関してを話して下さいました。

ご夫婦は第二次世界大戦を経験されている世代で

旦那さんの方は広島で被曝なさったそうです。

18歳の時だったそうです。

その被曝後に体調がおかしくなり

左の肺が半分腐ったようになり

半分以上失くなったそうです。

戦後の混乱の中

大変な思いをしてお金を工面し

やっとの思いでこの家を建てたと。




子供二人に恵まれ

家族四人の思い出が沢山の詰まっている家。

奥さんがちょっと涙ぐまれて

もう持っていても仕方がないので手放すが

やっぱりいざとなると寂しいものだとおっしゃっていました。

私は

「大切に使わせて頂きます。

近いですからいつでもお立ち寄り下さい。」

とお伝えしました。

私もあと30年40年経って

かいぽんも巣立って

今のテネシーの家を売る時

きっと同じような気持ちになるのだろうなぁ

と思いました。

このお二方とは味わって来た苦労が

全然違うとは思いますが。




不動産の方が

「お父様の為に家を買うなんて

親孝行ですね。」

と言って下さったんですが

まぁそういうよりも、むしろ

親不孝の罪滅ぼしと自己満足のため

と言った方が正しいですね。

国際結婚って親不孝ですから。

何かあった時に

すぐそばに行ってあげられませんし

年に一度ぐらいしか会いに行けないし、

孫にもしょっちゅう会わせてあげられませんしね。

それに父は93歳の祖母と

それからうつ病を長い間患っている

70歳になる実の兄を

東京の小さな2DKのアパートで面倒見ながら

暮らしているので

私が里帰りしても居場所がないんです。


ですから里帰りして、ゆっくりできる場所を

確保するために

ある程度広さのある家が

どうしても必要だったわけです。

今後は頻繁に里帰りして

家を事や親の身辺の世話を

もっとしていかなければなぁと思います。

年を取ると

いろんな事が出来なくなります。

ネットやスカイプのやり方を教えたり

介護保険の申請手続き、

庭そうじ、家のリフォーム、

そういった細々とした雑事ですね。

父がどなたか一回り若くて

身の回りの世話をしてくれるような

50代ぐらいの若い女性と

再婚でもしてくれたら助かるんですが・・・・

26歳で日本を飛び出した時は

何にも考えてなかったですね。

私の両親は

私が4歳の頃に離婚しまして

その後

妹は母とその再婚相手に

私は父と祖母に育てられました。

私は父の再婚相手の女性や、その連れ子とも

数年同居した経緯があります。


自分は若い頃

自分の父があまり好きではなくて

関係も上手く行ってなくて、

話は長くなりますが要するに

「父は好き勝手に生きてきた

子供の私の事よりも

自分のやりたい事を優先に生きる人だ

だから私も自分のやりたい事を優先に生きるぞ。

父のために自分の人生を犠牲にはしないぞ。」

そういう思いが、あったんですね。

だから海外へ出る時も

なんのためらいもなかった。

むしろ、やっと自由になれるぞと

清々したような気持ちでした。

今でも父の生き方には賛同できませんが

ここ十数年の父の生活振りが

あまりにも困窮していて悲惨な状況なので

放っておくことができなくなりました。

それにまぁいろいろ

紆余曲折や修羅場もありましたが

一応短大まで出してくれましたのでね。

私も今後は出来る限り

父の生活をサポートしたいと思います。

そりゃあ、今まで本当にろいろあって・・・・

例えば

父の再婚相手の連れ子供は

私より7歳年上で

いつも私のことをひどく虐待していましたが

父は助けてくれなかったし

いつも外に女性を作って浮気ばかりするので

それで2回も離婚になって

家の中はいつもぐちゃぐちゃだったし、

仲の良かった妹とも引き離されたし

借りたお金を返さないことで

いろんなトラブルに巻き込まれたり。

こうして書いてると実際きりがないぐらい

本当にいろいろあるんですが・・・・

恨みの感情は流してしまった方が

自分の為だなと思うようになりまして。

忘れる のではなく、流す、です。

人生あっけなく終わるものだし

生きている間に少しでも

多くの人を笑顔にする生き方の方が幸せです。

マイナスの感情を抱え続けることは

自分の健康を害しますので

自分や子供の為にも良くないですし。

ぶーちゃんはうちの父親のろくでなしぶりに

呆れてますけどね。

でもブーちゃんのお父さんも

もう亡くなってますが

うちの父親のさらに上を行く

ろくでなしだったそうで

まぁちょっと同情もしてくれてますね。




さて取り引きが成約した後は

お疲れ様でしたという事で

不動産の方が

地元で安くて美味しいと評判の

肴料理の専門店に連れて行って下さいました。



前回、5年前に帰国した際には

お寿司を食べに行くチャンスがなかったので

日本で食べる寿司は10年ぶり。



焼き魚の入った赤味噌。

旨過ぎます。



お魚屋さんが店のすぐそばに。

同じ経営グループだそうです。



産地が気になるところですが

日本海側は石川、島根、

それから瀬戸内、

太平洋側は三重

それから九州水揚げのものが殆どでした。

神戸と明石に市場があって競りが行われているそうなので

一度見に行って見たいのですが

業者じゃないと入れないのかなぁ。




東京の父達は3月末に

神戸に越してきます。

今後里帰りは

美味しい飲み水を恵んでくれる六甲山と

美しい瀬戸内海に囲まれたこの神戸で

ゆっくり過ごせるようになると思うと

本当に良かったなと思います。



父達は本当に今お金がなくて

身一つで

本当に身一つで東京から来るそうなので

彼らが来るまでに

布団やら冷蔵庫やら

ゴミ袋やら、石鹸やら、タオルなど

一通りの生活必需品を買い揃えて

家に運び込んでおかなければなりません・・・

まだまだ忙しくなりそうです(;^_^A