父を西日本に移住させる件については

311の後にずっと考えていたことでした。

ですから具体的にはどの県にするかということも

ずっと日々リサーチを続けていました。


兵庫県にするということが決まり

物件をある程度絞った頃に

物件を買うにあたっての

手付金用のお金を

日本円で15万ほど

父の口座に振り込んでおきました。


それが去年の8月なんですが

なんと父がそのお金を使い込んでしまったらしく

なおかつそれを責められるまいと

携帯の番号を変えるという

なんとも幼稚な行動に出た為

去年の9月から

全く父と連絡が取れない状態でした。


父は私が小さい頃から

お金に関しては、いつもこうで

周りの沢山の人に迷惑をかけてきたのです。

こんなんだから

親族関係からシャットアウトされてしまい

私はいとこ達と交流を持つことも許されなかったし

父の2番目の元妻であった女性からは

「あの男の子供だから

あなたも似たような人生を辿ると思うよ、

せいぜい、気をつけなさい。」


などと、

呪いのようなイヤミを散々言われましたし、

自分の実の母や、妹とも

父の金銭関係の問題で

今でもわだかまりがあり、

関係がうまくいっていません。


私の家族がブログに登場しない理由が

分かっていただけたかと思いますが

とにかく父に関わると今まで

ロクなことがなかったんです。


私が25歳で日本を出る時に

「もう父に関わりたくないな!」

と思った一番大きな理由がコレです。


普通の親を持っている友達が

とても羨ましかったです、

子供の頃から。

自分は父の子供で

とんだ貧乏くじを引いてしまった

とずっと思っていました。

離婚の際に、

父よりはまともだった母の方に引き取られた妹が

かなり長い期間、羨ましかったです。


親同士で勝手に決めてしまった事なので

自分にはどうしようもできなかった事ですが

今でも子供の希望も聞かずに

姉妹を引き離すやり方は

とても理不尽だったと思いますね。



まぁ恨み節を本気で書き続ければ

多分あと3年分の記事分ぐらいは

余裕で書けるぐらい

キリがありませんので

このくらいにして。

3月22日。

かいぽんと私は

連絡の取れない父に会うため、

神戸に家を買った事を知らせるために

東京に向かったのでした。

父のクビを2、3回

絞めてやりたいぐらいの怒りを

腹に抱えて。



日本に行く前から

たった一枚しかない父の写真を見て

一生懸命、日本語で

「おじいちゃん、こんにちは」

って言えるように

何度も何度も練習していた、かいぽん。

健気すぎて涙が出ます。

「こんな健気な孫に会いたくないんかお前は!?

なんで連絡よこさんのじゃ!」

と、そこでまた父に対する怒りが

更にメラメラと燃え上がるメラメラ........笑



のぞみに乗って

あっという間に東京駅に到着。

久しぶりの都会の喧噪に

しばし圧倒されます。

ちょっとでも他人と

ぶつかりそうになった時

"Excuse me" を言う文化圏に

16年以上住んでいると

東京のあの、人と肩なんかが

かなりがつんと衝突しても

何もいわずに平然と歩き去って行くのに

すごくビックリしてしまいますね。

私も10年程東京には住んでましたんで

あー東京はこうだったよなーって

思い出しては一人でしみじみ。

あるサラリーマン風の男性なんか

かいぽんのストローラーに

今の折れたんじゃね?ぐらい

かなり激しく足をぶつけていたのにも関わらず’

全くスピードを落とさずに歩き去りましたからね。

これは江戸的な文化なのかもね。

人の無礼は失敗は見なかった事にして

平然を装うことがマナー


という感じなのかも。

だってアメリカの三分の一の人口が

カリフォルニア州と同じぐらいの面積に

詰め込まれているんですもの。

他国とは人口密度が違います。

ちょっとぶつかったぐらいで

いちいち立ち止まっていられやしませんよね。

あのサラリーマンの男性の足が今でも心配。



父の住むアパートは

駅から遠いし

かいぽんもいるし、荷物もあるので

上野でレンタカーを借りて

運転して行くことにしました。



道路の上を、高速道路が走っていて

その周りにマンションが沢山

建っている光景が

テネシーの田舎風景に目が慣れてしまった

自分にとっては、とても衝撃的です。

自分が東京に住んでいた頃は

何とも思いませんでしたが。



父の住む都内の2DKのアパートに到着。

父は留守でしたが

93歳の祖母と

70歳の父の兄(私にとっては伯父)がいました。

父と祖母と伯父はこの2DKのアパートで

8年ほど暮らしてきたようです。

祖母は健康ではありますが高齢のため

外に出ることができませんし

伯父は痴呆が入っているので

2人とも要介護です。

父が一人で今まで面倒をみてきたようですが

大変だったと思います。



アパートの中は

写真を撮るのもためらわれる程

ひどい状態でした。

やはり女手っていうのは

家の中には必要なんですね。

健康で家事ができる女性が

家の中に一人はいないと

やはり汚部屋になってしまいます。

もう本当にゴミ屋敷という言葉がぴったりで

もうろくに息もできないぐらい臭くて。

ショックでした。

いくら連絡がとれなかったとはいえ、

こういう惨状をまのあたりにしてしまうと

国際結婚して悪かったなと

自分を責めてしまいます。

特に酷かったのは父の部屋で

モノがいっぱいで、もう穴蔵状態でした。

全く理解しがたいのですが

何年も窓を開けていなかったそうです。


人間が住む環境って重要ですね。


掃除のゆきとどいていない

好ましくない環境に

長い間住んでいると

正常な感覚や、思考まで麻痺してしまって

正しい判断もできなくなるのではないでしょうか。

住む場所をキレイにするって大切だなと

改めて再確認する思いでした。



夜の7時頃に父が仕事から戻ったので

やっと父に会うことができました。

アパートの前の駐車場でひまつぶしに

うろうろしている時だったんですが

かいぽんはすぐにおじいちゃんだと

分かったようです。

なんで分かるんでしょうね。

写真で顔を覚えていたのかな?

「おじいちゃんっ!」て言って

自分から抱きついて行ってました。

父のアパートには泊まれないので

その夜は近くで宿をとり

翌日は父と引っ越しの準備や段取りに

とりかかりました。




まずはデニーズで朝ご飯。

かいぽん、おじいちゃんと

一緒に食べる初めての食事です。




駐車場に止めてある

日本の清掃車を見て大喜びのかいぽん。




初めておじいちゃんと

一緒に撮った写真。

3年半もかかってしまったね....



神戸に帰る前に

父のアパートの周辺の

線量をチェックしてみました。

低くはないけど

高過ぎるとも言えない

微妙な数値でした。






神戸では

一カ所だけ、市内のある公園の砂場が

0.2出ましたが

後はどこを計っても大体

0.05~0.15の間。


0.2マイクロシーベルト以上が出ることは

ありませんでしたので

まぁ神戸と比べると高いとは言えると思います。


ちなみにテネシーでは

普通に空間線量が

0.2以上と出ることは皆無です。

これぐらいの数値だと

地盤の地質に由来する数値なのか

311に由来する数値なのかは

結論付けるのは難しいですが

まぁ線量は低いに越したことはないでしょう。

東京は空気が悪いと感じました。

自分が住んでいた時は全く気にならなかったのですが

田舎のきれいな空気に自分がなれてしまったせいか

東京に来た途端に、喉がイガイガしてたまらなくなり

ずっとマスクをしていました。

神戸ではそんな事はなかったので

やはり東京と比べると

神戸の方がまだ空気がだいぶきれいなようです。

かいぽん用に子供サイズのマスクも買ったんですが

嫌がってすぐに取ってしまって汗

常につけさせることはなかなか難しかったです。




夕方、神戸に戻るために

東京駅へ向かう途中、

初めてスカイツリーを見ました。



東京駅まで父がついてきてくれました。

別に一緒にきてくれたからって

ぶっちゃけ役に立つ訳ではないけど

その気持ちが嬉しかったです。

いろいろ腹のたつ父ではありますが

まぁ、親子ってそういうもんでしょう。



東京駅の駅弁屋さんで

新幹線の中で食べる夕食を購入。

品揃えの多さにビビる。



そして

店員さんのユニフォームが

とってもオシャレ!




かいぽん早速

新幹線の形のお弁当をゲット音譜



ものすごいご機嫌で

ぱくぱく食べてくれました。

子供ってほんと

しょうもない理由で

突然パクパク食べ出す。



アテクシは

北海道産は森名物のイカめし。

ヱビスとよく合って

唸るほど、旨かった.....




帰りは富士山が見える側に

席を取ったので

富士山も見れて、満足満足ラブラブ



こうして日本滞在6、7日目は終了。

まだまだ続きます....。