今朝、通勤時

なくした日傘と同じものを差してしる人が

前を歩いていた。

少し珍しい、黒と赤とグレーのデザインを

すごく気に入って買ったから、

失くしても同じ規格のものを探していた。



雨の日に差してしまったタワミ具合。

失くさないようにと傘の柄にぐるぐる張ったテプラ。

「ああ、あれば私の傘」

その人の右腕をグッとつかんで

「これは、私のもの」と、言うべきか言わざるべきか。

けれど、あまりにステキな女性だから

もし、そう言ったときの、

彼女の反応を思えば何も言えないまま・・・




そうしていた時に、ふと友人のことを思い出した。


一昨日、友達が訪ねてきて、

昔別れたご主人と町ですれ違ったという話。

「別れる」儀式もないままに

突然音信不通になって、離婚届けだけがやってきた。

当時、私たちは随分このことで飲んだくれたものだった。

十年数年近くぶりにすれ違う。

駆け寄って

肩を揺すって聞きたいことが沢山あっただろうに

彼女は声もかけないままに

通り過ぎたという。



声がかけられなかったのではなくて

「かけなかったんよ」

隣りにステキな女性とかわいい男の子がいて

「なんだか、幸せそうでうれしくなった」

と言っていた。

「うれしくなったって、何よそれ」

うれしいわけ、ねーだろう。



日傘をどういう経緯で手に入れたのか

わからない。

テプラに電話番号も入れているのに

電話もかからない。


けれど、日傘を差している人が

素敵な女性でよかった。

友人の気持ちがすこしわかった朝。



Yの気持ち、少しわかった」と

メールをしたら

「日傘と人は違うだろ !

人の旦那取っても犯罪にはならないけれど、

傘取るのは犯罪だよ、捕まえて吐かせるべきよ。

あんたは、そういうところは根性がない。

しっかりしろ!

と手厳しいお叱りの返信が来た。






確かに


そういう根性はあるようで、ありません・・・トホホ

それにしても、




人はどうして「友人」もしくは自分以外のことになると

ちゃんと「わかる」のに、

自分の感情は見過ごしていくのだろう。


しっかりしろ、と言うメールに

「どっちが!」と返信して気が付いたこと。

自分の代わりに、怒ってくれる友人がいるってイイなぁ。

それに気が付いたことで「ヨシ」とするか。




今週別のデザインのステキなのを、買いに行こう!