母校の尊攘堂に保管されている史料の続き物が家にあるのですが、史学科出身にも関わらず古文書が読めません、恥ずかしながら^^;
長らく在籍していた研究室は古文書実習室の真上にあったのにね。
古文書実習、受けとけば良かったorz

社内試験を受けに京都市内に行くついでに、20年ぶりにかつての親友に連絡してみました。
彼の在籍する埋文センターは長らく尊攘堂の横にあったので、つてがあるかと。


恩師の温情に報いることなく去ることになった母校。
不義理をしたという後ろめたさから、10年以上、近寄ることすらできませんでした。

母校は京都にありながら、地元出身者が少なく、みな雲の上の存在として全国、いや全世界で活躍中。同級生も前後もほとんど残っていません。



陳列館


旧陳列館。歴代の教授・助教授の研究室がある、権威の象徴とも云うべき施設。
専攻の授業と実習の一部はここでした。ただただ懐かしい・・

当時、研究室と実習室は、この隣の文学部博物館(現・総合博物館)にあり、文学部の他の専攻とは離れていました。当時では最新の施設で、理系を含めて考えても学内有数の恵まれた環境だったと思います。
が、今や研究室は移転し、どちらかというと追いやられてる感のある場所にありました。


昔と全く違うので、親友の研究室に辿り着いた時にはお昼になってしまいました^^;
その隣は大先輩の研究室だそうですが、僕が来たら声を掛けてと仰ってたそうなのですがお帰りにならず。
積もる話も早々に、二人だけで百万遍へ繰り出しました。


ランチ


20年経っても学生街ですね、この日替わりが750円。
あ、誤解しないでくださいね、目の前の酒には手を出してません^^;

食後は彼の部屋に戻って、史料の話と仕事の話と昔話。
再会を心から喜んでくれて、20年の歳月が一気に吹っ飛びました。
もっと早くに来れば良かったと後悔しています。

大先輩、お待ちしてたけどすれ違いで、今回は諦めました。

親友と別れて中庭で一休みしていたら、横に学生さんが。
お話してみたら西南アジア史の学生さん。
同級に神〓大の教授になった変人・真〓君てのが居るけど知ってる?と尋ねると、ちょうど非常勤で授業を持っていて、その講義を抜け出して一服中とのこと。

なんたる偶然!

もしかして始まってしまってるかも、というので急いで講義室に連れて行って貰いましたが、果たして再開しており、入るのは諦めました。学生さんに名刺を託して。

声は20年前のまま、扉の窓からは後ろ姿が見えました。
頭頂部に目が釘付け。絶句。
無理もないですね。20年という歳月の重みを痛切に感じた瞬間でした。

今も昔も一コマ90分。長い。
晩には地元でアポがあるので帰ろうと思ったのですが、やっぱり思い直して待つことに。

どうせならドッキリさせたるねん!


講義室のすぐ近くが、現・研究室だったので、待ち時間の間、そちらに突撃しました。
20年間のメンタルブロックが嘘のようです^^;
大先輩の教授がいらっしゃることを期待したけど、院生だけ。そりゃそうですわな。

後輩達と名刺交換してると、総合博物館に在籍している後輩の女の子が偶然やって来て、お互いに仰け反りました^^;


そうこうしてるうちに、予定時間が過ぎて、待てども待てども終わる気配もなく。
次の講義の出席者達が外に集まってきても、スルー。さすが大物。
結局10分オーバーで扉が開きました。

みぃパパ乱入!いや、闖入と云うべきか?^^;


真下


後頭部はショッキングだったけど・・前も・・M字に来てるやん^^;
でも、昔の面影がありありと。
お互いに一目でわかったのは、さすがです。
進歩がないというべきか?^^;

墨塗りしてあるけど、満面の笑みなんです^^

受講生の入れ替わりで騒がしいところで、何やってんだか。

控え室もないし、すぐ神戸まで帰らなきゃならないとのことで、四条河原町まで一緒にバスで帰りました。
昔話をしてると、思い出せなかった L3 の連中の名前が次々と出て来ました。
名前が出てきただけで、今どうしてるかはお互い知らないんですけどね。
「サドルちゃん」とか・・不覚にもバスの中で大ウケ^^;
当時は型破りなヤツが多かったなーと他人事のように。・・て、お互いが型破り過ぎの筆頭クラスなんですけどね^^;

講義は前期だけのピンチヒッターだそうで。
偶然の再会も、何かの縁なんでしょう。

教授といっても研究だけしてればいいのではなく、なかなか大変そうです。
講義の時間もわかったし、また会いに行くわね^^