喜進は殺害された可能性が高い

一部転載
私は喜進が(霊界に)行ったことに対して感謝しています。彼の性格は、何か問題が起こると、その性格がねじれ易いのです。そうなると、サタンがすべてを引っ掛けてくるのです。彼の性格からみると、喜進はとても活発な子供だったのです。勘がとてもよく利くし、また男性的でした。そのような立場で相当心配したのです。
先生の家庭を見ても、二番目は分かれるのです。そのようになりやすくなっているのです。それが復帰の原則であるからです。そのようなことを見ると、一面には、ああ、その子が行ってしまったことは、とてもかわいそうなことですが、地においては損にならなかったと考えているのです。これからは、聖進がよくやって、伝統さえ立てておけば、弟達はそのままついていくようになっているのです。』

(我が家庭のいく道 1971年8月28日 清平修練所)


 
 

 
 
六マリアは、入れ替わり続け実際何人が「六マリア」と呼ばれるような存在か解らない。
喜進の母も「六マリア」のひとり。