先日、公園で見かけたエゾシカ。全国ニュースでも取り上げられていました。遠くから見るのは可愛いんですけどね…。



幼い頃、生きることに苦労してきた人が、普通に生きてきたように見える人に厳しく当たるということってあると思うんです。

実際に厳しく当たらなくても、心の中で思っていたりね。

その場合、苦労してきた人は、ある意味被害者なのだけれど、普通に生きてきた(ように見える)人にとっては、加害者になってしまいます。

いやまさしく、それが加害者であった過去の私なんですが、生まれた環境に対する理不尽さに耐えられずに、恵まれた(恵まれて見える)人に対しての嫉妬が渦巻いていたりしました。

特に現夫に対して…苦笑

ぬくぬく育ちやがって…という、夫にしてみれば訳の分からない私の怒りを理不尽に受けていた訳ですよね。



宗教2世でもあった私は、同級生の男の子が親にトイレに連れられて行かれる姿を見て、心のどこかでバカにしていたりしました。

トイレに連れて行かれてお尻を叩かれる。

幼い頃から日常であったそれは、いつしか麻痺していたのでしょう。

中学生の男の子にすれば屈辱的だったであろう状況を冷ややかな目で見る私。

私の視線に気づいた同級生の凍りついた顔。
まるで昨日のことのように思い出します。

宗教2世であった事が被害者かといえば、まだその世界を生きている知り合いもいるわけで、なんとも定義し難いものではあります。

その宗教が、自分の進む道ではないと気がついて抜けたものにとっては、被害と言えるけれど、そうでない者にとっては、正しい道なんですよね。



今大きく取り上げられているジャニーズの問題は、抜けた人、抜けなかった人が戦っていたり、当時何も言えなかった大人がここぞとばかりに声を上げている。

静かに過ごしたい被害者にとっては、戦いを繰り広げている人たちこそが加害者となる訳です。

私の生い立ちと比べられるものではないのですが、それでも他人事ではない気持ちです。

どう折り合いを付けたらいいのか、ハッキリと言語化できない心の中を、ニュースを見ながら感じております。

この、なんとも言えない感情を自分のものとしながら、人を支援していくことの意味について考えていますが、クリアな答えは見つかりません。



私の中の被害性と加害性。

こうしてブログを書いていることも、加害者として見る人がいるのかもしれない。

それでも、書いていこうと思うのです。

それでは、また。