早く起きすぎてしまったので、昨晩の755での話から、なんでそう思うのか補足してみた。
以下、長文🙄
俺は多分バンドマンとしては特殊な方で、ライブをするのが、ギターを弾くのが、ステージに立つのが何よりも気持ちよくてバンドやギターをやってる、って訳じゃないんだ。
勿論ギターが好きで、バンドが好きで、音楽が大好きでやっているのは間違いないんだけど、じゃあ聴いてくれる人がいない、求めてくれる人がいない、仕事としてはもうやっていけない…としても、情熱のみでも音楽をするか、ギターをするか、バンドをするか?って問われると、今の自分は即答でYESとは言えないんだよね。
学生時代のテニスもくだらない理由で辞め、なんとなく暇だったからバンドブームに乗っかって始めたギターも、元々音楽に興味があった訳でもないし、どうせ音楽で食ってくなんて無理だと無謀な夢は見ないように冷ややかな心持ちでやってた。
そんなこんなで将来の夢が全く見つからなかった学生時代の椎名少年はとあるきっかけで始めた特技がきっかけで、16歳位の時に人生で初めて不特定多数の人に自分の能力を求められる感覚を知った。
自己顕示欲とか自己承認欲求とか言うとマイナスにも聞こえるけど、誰かに求められたり、必要とされたりすることって、こんなに嬉しい事なんだ、って始めて強く感じたのは多分その時が初めてだったはず。
それがきっかけで、誰かに自分自身を必要とされる事をしたい、そういう人になりたい、と思い、本格的にバンドや音楽を志す事にする。
なんで志す方向が音楽だったのかは、そのきっかけだった出来事が自分の音楽的な能力を全国の見ず知らずの沢山の人に求められたからだった。
まだインターネットの普及が未発達で、携帯電話も黎明期だった当時の自分には、会ったことも話したこともない人達が、次々に自分の能力を評価してくれるのはとても衝撃的な出来事だった。
あ、もしかしたら自分には音楽的な何か秀でたものがあるのかな…って思ったのもその時。
だから音楽を本格的にやろうと思ったんだ。
で、話はグッと近年に戻る。
苦節…何年かも分からないけど、今では音楽(を媒介としたバンド活動)がある程度の仕事になって、ありがたい事に応援してくれる人も出来た。
椎名少年の夢はある種叶っていると言っても過言ではない。
ただ、ここ数年でより顕著になった想いは、音楽、ギター、バンドだったりは、俺が皆から必要とされる為の方法の一つや手段であって、純然たる愛のみでやっている訳ではないんだなって事。
世の中には音楽やギターやバンドが仮に誰に求められなくても、完全な趣味として純粋な愛情のみでやっている人が沢山いる。
それは羨ましい程純粋で、音を楽しむという意味では、一番音楽の在り方に近いと思う。
けど今日の自分はそうではない。
目の前に誰もいないステージで、誰に聴かせる訳でもなく歌を歌いたい訳じゃない。
歌を歌うなら、目の前に聴いてくれる人がいて、初めて歌おうと思える。
歌じゃなくてギターだとしてもね!
ライブをするにしても、目の前に聴いてくれる人がいて、初めて楽しいと思える。
要するに「必要だよ」って言われたくて人の前に立ってるんだね。
原典:パープルレシオの歌詞の内容も同じ事を書いてる。
曲を書いたら聴いてほしいし、感想も欲しいし。
ギターを弾いたら聴いてほしいし、見てほしい。
ライブをするなら見に来てほしいし、名前も呼んで欲しい。
それの派生で、SNSを更新したら反応して欲しい、っていうのも同じ事なのかも。
必要とされてないのかな、って思ったら、自分の中で必要性を感じなくなってくる。
それは自分自身に対しても。
良くも悪くもTwitterなんかは"いいね"やら"リツイート"やらで数字が見える。
ただただ音楽が好きで、それだけの情熱でやってる人はそんな数字の上下に一喜一憂しないとは思うけど、このご時世、そういった数字でも、需要は擬似的に測れてしまうものだと思う。
勿論その数字が全てを物語ってはいないけど、時代柄判断材料の一つとしては十分意味のあるものなのかな、とも。
だから、些細なリプライ一つでも、何気ないメンメの返信一つでも、「必要とされてる」っていう感覚が自分を音楽だったり、ギターだったり、バンドだったりへ向かわせるバイタリティに直結する。
取りようによっては意外な程単純な思考で動いてるのかもしれない…笑
ブログにTwitterにインスタにメンメに…と、新しいもの好きが災いして個人で抱える媒体が増えすぎてる感もある。
だから"反応"が分散してるってのもあると思う。
Twitterは返信する、755は返信する、インスタは返信する、メンメは返信する、みたいな。
なら絶対に辞めれないのはメンメだとして、他の媒体は意向次第ではどうにでもなるから、辞めようかなと思いつつあるものもある。
けどせっかく作った場所を無くしてしまうのも勿体無いしね。
この頃はそういうのでも色々考えたりしてる。
難しいねー。
人によっては、音楽舐めてんのか?って話にもなるかもしれないけど、自分は逆に真摯に向き合おうとすればするほど、聴き手のいない音楽程可哀想なものはないとも思ってもしまう。
必要とされて初めて価値が生まれるんじゃないかと。
だから突き詰めると、作者自身が必要とされる人でなければ、音楽もまた必要とはされないんじゃないかと思う。
だから、「自分が必要とされたい」と「いい曲を作る」はかなり密接で、必要とされたいからいい曲を作りたいし、いい曲を作らなきゃ必要とはされないだろう、と思って曲を作ってる。
散々言ってはいるけど、自分は自分の正義で真摯に音楽を作っているつもりではいる。
そこは間違いないよ!
と、まぁこんな感じかなー。
長々書いてて思ったんだけど、まぁ要はかまってくれって事かもしれないね/笑
踏まえて、原典:パープルレシオの歌詞を読み返してみたら、更にあの曲の見識も深まるかも…。
さて!!
本日ライブです!!
沢山名前呼んでね😘