ネットいじめ | missingmass

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いじめ問題の対応の難しさ。

・本質的には予防が一番有効かつ家庭教育(道徳教育、人間性の醸成)が重要だが、身近に問題が起こらないと関係者が本気で動かないこと

・これをすれば防げる、解決できるという唯一無二の答えがある訳ではないこと。
※やってはいけないことはあるが、こうすれば解決するという絶対解はない。(ケースバイケース)

・犯罪との境界があいまいかつ事実を隠蔽しようとする(責任回避しようとする)力が多方面からかかるケースがあること。

・当事者(加害者)と親の意識、認識、態度に教育機関側が翻弄され、対応がぶれることがあること。

・加害者の人間性、性格、病的な要素などに起因するケースもあること。

・教員の一言がいじめのきっかけになることがあること。(教員の人権等に対する意識の欠如など)

・いじめ等が発生した際の保護者の過剰反応や学校側への極度な責任追求が生じて学校との連携が取りにくくなるケースがあること。

・教育機関側での最新情報のキャッチアップや対応の共有などが十分に行える環境が少ない場合があること。

・毎年、入学・卒業があり、教職員の移動もあり、中長期的に取り組むことが難しい環境にあること。

・絶対的正義(正論)だけ振りかざしても本質的には解決しないこと。

昨今のネットいじめは更に以下の問題が付加される。

・単純なテキスト上(言葉)のコミュニケーションロスがきっかけとなること。(発生のきっかけがこれまで以上に突発的で予測不能に)

・監視の目が行き届かない閉鎖環境(LINEなど)への移行かつ学校生活時間と離れた環境でも継続的に執拗に行われること。
※小中学校では学校への携帯持ち込み禁止のケースが殆どであり、実態として学校管理外の時間にいじめ行為が行われる。

・前項の事由により短時間で深刻な状況に陥る危険性が高いこと。

・ネット上でのいじめに対する人としてやってはいけない行為であるという認識、意識の低下が生じやすいこと。(現実社会よりもいじめに踏み込む壁が低い)

・体格や体力に関係なくすべての人がいじめの加害者、被害者になること。また、ある日突然、入れ替わることがあること。

・傍観者が加害者になるしきい値が低く、強迫観念が生じること。(加害者として加わらないと次は自分という意識が働きやすいこと)

予防や対応の根底にあるのは詰まるところ人間教育なのでしょう。

いつの時代もいじめというものは一定数以上発生し、ゼロにはならない。

ゼロという数字を目指すのではなく、あって当たり前、それらに向き合う体制を整え、様々な取り組みを行う。

結果的に今年はゼロでしたねという形で取り組みができる環境にしていくことも必要なのでしょう。

また、学校非公式サイトなどの監視実績といじめは比例ではないという点は忘れてはならない点。

監視により不適切な書き込み件数が減少しているからいじめも現象傾向にあるなどというのは誤り。

別物として捉えておかないと深刻な事態を見逃すことになる。

寧ろ、監視では発見できない水面下の世界に移行しているということで対策を考える必要がある。