改装中でしたが、復活。



あんまり仕事のことについて書きすぎるのも


ど~かということなので、





原点回帰!!





旅日記もたまっていることだし、

旅のこととか、

日常の出来事を中心に書き連ねようか。





【9日目】

2月22日(サンクリストバル・デ・ラス・カサスにて)

oaxaca→sancri

印象的な街『オアハカ』から深夜バスで東へ進む。


朝の9時に『サンクリストバル・デ・ラス・カサス』

という長い名前の都市に到着した(略してサンクリ)。


まずはホテルに荷物を置くため、

宿探しだ。


案の定、バスターミナル付近では

ゲストハウスからの客引きが待ち構え、

声をかけてくる。



基本的に、

こうした客引きで連れて行かれる宿は

ガイドブックなどには載っていない宿で、

何かしらの問題があったりする。


もともと人気がないために、こうして朝っぱらから

客引きをせざるを得ないのだ。


いつも俺はその都市へ行ってから宿を決めるが、

基本的に「ロンリープラネット」に載っている所しか行かない。



しかし、今日は朝が早く、疲れていることもあって、

いつもなら無視する客引きの話を聞いてみた。


聞いてみると、

一泊30ペソ=約300円


今までの都市に比べて

驚きの価格!!


こりゃどんなひどい宿かと

怖いものみたさでついていってみる。


しかも、この客引きのオトコ、

イタリア人で、同じイタリア人の妻と

このゲストハウスを夫婦で経営しているようだ。


ジョン・レノンばりの丸いサングラスをつけている。



ますますあやしい。



宿はドミトリー式だが、

屋上が気持ちよく、アットホームな感じだった。



まあこの値段ならいっか。

と思い、宿泊を決定する。



そこからだんだん雲行きが怪しくなる。


宿に宿泊している者はやはりイタリア人が多く、

エクステをつけたスウェーデン人などがいた。


みんな昔からの友達のように仲がよく、

外へ出る気は全くない。


観光客ではないのか??


屋上でボーっとしているやつなどが多く、

ちょっといつもと違う雰囲気を悟る。



それでも、

そんなことはお構いなしに、

一人外へ出て散歩。


やはり、まずは高い場所へ登ってみる。

街を制覇できた気がするし、

全体像を見て、その街の雰囲気をつかむ。


サンクリの名も知らぬ山から



この都市はグアテマラにも近く、

先住民が多い。


高度も2000Mを越え、朝晩は冷え込む。


町並みはキレイで

落ち着いた田舎街といったところか。



その後この街の中心、カテドラル(大聖堂)へ。

さすがに観光客をチラホラみつけた。


昨夜からの深夜バスで一緒だった日本人にも再会。

夜メシを一緒に食べる約束をして別れる。


この聖堂の脇では先住民たちが、

ハンドクラフトの民芸品を道に広げて

売っている。


全く見向きもしないオレだったが、

一人際立って素朴な先住民のお母さんに声をかけられる。


「10ペソ(100円)」

などといいながら

色んなものを風呂敷から出してくる。

背中にはちっちゃな赤ちゃんを背負って。


初めのうちは

「いらない、いらない」

と首を振っていたが、


一つ一つの品物に

「これはマルコスで、こっちはカスティージョ」

などと名前がつけられていて、

時折笑わせてくれる。


めちゃめちゃしつこいけど、

トークに工夫がされていたので、


ついに全く不必要の人形とペンを買った。

(ペンはインクが出なかった)


すごく素朴ながら、

商売魂が座っているお母さん。


こういうのにオレは弱い。




ところで、先住民の写真をぜひ撮りたかったのだが、

江戸時代の武士並みに、

「魂を奪われる」と思い込んでいて、

写真はとらせてもらえない。


何度か盗撮を試みたが、

後から思えば、失礼なハナシ。



メルカド(市場)にも足を運んだが、

生活臭がプンプンしていてよかった。



何より、この都市は物価が安い。

首都のメキシコシティーと比べて

3分の1ほどなのだ。

よく考えれば、あの宿も特別に安いわけではなかった。


同じ国の中で物価が違うのはアジアで体験済みだが、

予想以上だった。


日本全国ジュースは同じ値段なんてやっぱりすごい事。



そうこうしている間に、

例の日本人との待ち合わせの時間になる。


大したおもしろい展開もなく、

宿へ戻る。



宿に戻って、部屋へ行こうとしたとき、

暗いダイニングからフシギな曲が聞こえ、光がともっていた。


オレ以外の宿泊者がみんなそろって、ろうそくを囲んでいる。



ガンジャ(マリファナ)パーティーだ。



やはり、このイタリア人宿は

ジャンキー宿(中毒者宿)だった。

後から知ったのだが、

イタリア人にはジャンキーが多い。


日本人宿というものも存在するが、

これはアジアで特に多い。

日本人宿も同様に、

物価の安さと現実逃避のために

日本人同士でたむろ、長期滞在者が多い。

もちろん、ジャンキーも多い。



オレは気味が悪くなって、

外へ出てビールを買ってきた。

その小さな店の子供がすごくオレに興味をもって

話しかけてきて、純粋だった。


なんで旅でみかける子供はかわいいのか。

(日本人の子供は大嫌いなのに…)



ホテルでは儀式がヒートアップしていたが、

オレは早々に切り上げて就寝した。