巷には、スピリチュアル系の『引き寄せの法則』なども、いろいろありますが。。
確かに『引き寄せの法則』の『態度・気の持ちよう』というものは、間違ってはいません。
が、
気をつけなくてはならないのは、それだけ、に物事の現象をまとめてしまうこと。
何か自分にとって良くないことが起こった時に、
そこから学ぶ
という態度自体は悪くないのですが、
『良くないことが起こった』こと自体は、その人のカルマでもなにでもなく、
単なる事故
です。
人間(動物)生きていて、ランダムに事故にあうということは、どんなに頭がいい人でも、用意周到な人でも、人徳のある人でも、ありえます。
いくら気をつけても、人間最後には死ぬし、いくら健康的に生活しても、リスクは減るけれど病気になる時はなる、いくら気をつけていても、交通事故にあうこともあれば、転ぶだけで亡くなる人もいるわけで。。
ここを気をつけないと、『引き寄せの法則』は時に罪悪感を引き起こすような、「自分の行いがわるいから」とか、「カルマが悪いから」、とか「以前の行いが自分に返ってくる」などという、
全然関係ないこと
へ結びつけられて、心理学で言う『正当化(RATIONALISATION)』が起こります。
これ、どんな素晴らしいスピリチャルな教えでも、宗教でも、イデオロジーでも、心理学的に悪用される可能性を秘めております。
この辛い人生、自分のために、ある意味『気休め』として色々なものを使うにはいいのです。所詮、良い意味で、気休め。しかし、そういったものに依存してしまうと、基本良い物でさえ、洗脳や操作の手段として利用されてしまうことも、お忘れなく。
NIETZSCHEやSCOTT PECKも言っている様に、生きることって、基本、誰にとっても本当に大変です。辛くて大変ななかで如何に楽しくやるか、という問題ですね。
そして、どんなに強い人間でも、生きている限り弱る時というものはあるもので、いわゆる『自己責任』だけで済む問題でもないことが多いです。
起こる事象は、時には自分の力・影響のおよぶものではなかった
ということを、特に共感力の強い共依存タイプの人間は気をつけるべきでしょう。
これとは反対に、どんなことがあっても自分の責任をまったく顧みず、全てを他人や外的要因のせいにする自己愛傾向タイプは、まさにその対極にあるものです。そういう人々は、ありとあらゆる理屈をつけて、自己防衛機能としての責任逃れの『正当化』をしてきます。
どの人格タイプによるかで傾向が変わってきますので、人間関係で関わる人物がどういう傾向の人間であるかをプロファイルすることが、非常に重要になってきます。いわゆる『価値観』といわれるものですね。これによって、付き合う人間を選ぶ必要があるわけです。
ある意味、差別です。
そして自己愛傾向タイプほど、そういう論理を使って、共依存タイプを責めるのですよね。だから、要注意いいんですよ、差別しても。法に触れる差別でもなければ、意地悪の差別でもありません。人格タイプで価値観による、まっとうな差別とでも言いましょうか
ま、こういうタイプの人間、知識と経験を積んでくれば、直感でわかることもあるのですが、やはり、ある程度系統だった知識があるに越した事はないと思います。
そして、その知識や経験を使って、
責任の正当なあり場所
を定義すること。これが一番大切な要素です。
関連記事:
あなたを傷つける人
ACと女性の関係
心理学の勉強
Merci beaucoup
みやび
確かに『引き寄せの法則』の『態度・気の持ちよう』というものは、間違ってはいません。
が、
気をつけなくてはならないのは、それだけ、に物事の現象をまとめてしまうこと。
何か自分にとって良くないことが起こった時に、
そこから学ぶ
という態度自体は悪くないのですが、
『良くないことが起こった』こと自体は、その人のカルマでもなにでもなく、
単なる事故
です。
人間(動物)生きていて、ランダムに事故にあうということは、どんなに頭がいい人でも、用意周到な人でも、人徳のある人でも、ありえます。
いくら気をつけても、人間最後には死ぬし、いくら健康的に生活しても、リスクは減るけれど病気になる時はなる、いくら気をつけていても、交通事故にあうこともあれば、転ぶだけで亡くなる人もいるわけで。。
ここを気をつけないと、『引き寄せの法則』は時に罪悪感を引き起こすような、「自分の行いがわるいから」とか、「カルマが悪いから」、とか「以前の行いが自分に返ってくる」などという、
全然関係ないこと
へ結びつけられて、心理学で言う『正当化(RATIONALISATION)』が起こります。
これ、どんな素晴らしいスピリチャルな教えでも、宗教でも、イデオロジーでも、心理学的に悪用される可能性を秘めております。
この辛い人生、自分のために、ある意味『気休め』として色々なものを使うにはいいのです。所詮、良い意味で、気休め。しかし、そういったものに依存してしまうと、基本良い物でさえ、洗脳や操作の手段として利用されてしまうことも、お忘れなく。
NIETZSCHEやSCOTT PECKも言っている様に、生きることって、基本、誰にとっても本当に大変です。辛くて大変ななかで如何に楽しくやるか、という問題ですね。
そして、どんなに強い人間でも、生きている限り弱る時というものはあるもので、いわゆる『自己責任』だけで済む問題でもないことが多いです。
起こる事象は、時には自分の力・影響のおよぶものではなかった
ということを、特に共感力の強い共依存タイプの人間は気をつけるべきでしょう。
これとは反対に、どんなことがあっても自分の責任をまったく顧みず、全てを他人や外的要因のせいにする自己愛傾向タイプは、まさにその対極にあるものです。そういう人々は、ありとあらゆる理屈をつけて、自己防衛機能としての責任逃れの『正当化』をしてきます。
どの人格タイプによるかで傾向が変わってきますので、人間関係で関わる人物がどういう傾向の人間であるかをプロファイルすることが、非常に重要になってきます。いわゆる『価値観』といわれるものですね。これによって、付き合う人間を選ぶ必要があるわけです。
ある意味、差別です。
そして自己愛傾向タイプほど、そういう論理を使って、共依存タイプを責めるのですよね。だから、要注意いいんですよ、差別しても。法に触れる差別でもなければ、意地悪の差別でもありません。人格タイプで価値観による、まっとうな差別とでも言いましょうか
ま、こういうタイプの人間、知識と経験を積んでくれば、直感でわかることもあるのですが、やはり、ある程度系統だった知識があるに越した事はないと思います。
そして、その知識や経験を使って、
責任の正当なあり場所
を定義すること。これが一番大切な要素です。
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みやび