秋の法話【巡り合わせ】という言葉について考えてみましょう。ー今日は秋のお彼岸お中日です。 | 普門院だより~アメブロ版~

普門院だより~アメブロ版~

岡山県岡山市東区の普門院というお寺の

ブログです。

寺の年中行事や歴史など折々の情報を

ご案内していきます。お問い合わせは

こちらのブログのコメント欄か直接、

当寺までお願いします。

お気軽にどうぞ゛。

皆様、こんにちは。

 

 早いもので、また前回更新から、ご無沙汰してしまいました。

 

 9月に入っても残暑の厳しい日々が続いておりしましたが、

 

 今日は昨日までの暑さが嘘のように涼しいですね。

 

 ー暑さ寒さも彼岸過ぎまで。

 

 とは、昔の人はよく言ったものです。

 

 さて、今日は秋のお彼岸のお中日ということで、何かお話をさせて頂こうかと思います。

 

 お寺のブログなので、亀更新ではあるのですが、せめて、このような節目節目ー仏教や仏様に

 

 関係のある行事に絡めて更新できればと考えています。

 

 本日は知り合いの女性の方の話です。

 

 私と同年代の女性が最近、体調不良を自覚して検査をしたそうです。

 

 医師からの指示ではなく、自主的に行った健診です。

 

 保険がききませんので、すべて自己負担になります。

 

 検査を終え、医師から結果説明を聞いた時、医師が彼女にこんなことを言ったそうです。

 

 ーすべては巡り合わせですよ。

 

 その直前、彼女は訊ねたそうです。

 

 ー 一ヶ月後くらいに再検査をする意義はありますか?

 

 そうです、今回の検査では特に不調の原因となるような病気は見つからなかったのでした。

 

 それで、彼女は訊いたわけですが、、、

 

 医師はこんなことを答えました。

 

 ー 一ヶ月では意味はないでしょう。逆に言えば、一ヶ月で新たな症状が出るほどなら、そこまで進行の早い

 

 ものであれば、何をどうしても助かりっこないですよ。かえって病気を知らない方が本人のためかもしれま

 

 せんね。

 

 女性は医師の言葉に当惑したそうです。

 

 そこまで進行の早い病気であるからこそ、できるだけ早期に見つけられたなら、打つ手も治療の余地も

 

 あるだろうに、医師の言葉は何かもう投げやりで突き放すように響きました。

 

 そして、その後で医師は更に

 

 ーすべては「巡り合わせ」ですよ。もし病気がそこで発見できなかったら、それは「巡り合わせ」です。

 

 仕方がないと思うしかない。

 

 これが他人の尊い命を救うのが使命たる医師の言葉でしょうか?

 

 女性は烈しい憤りを覚えたそうです。

 

 病気が何であろうが、重かろうが軽かろうが、医師は患者一人一人に真摯に向き合い、

 

 自分にできる限りの手を尽くして患者を全力で救おうとするものではないでしょうか。

 

 「巡り合わせ」という言葉は、言うならば「患者側」が

 

 ー運命だった、仕方ない。

 

 と、自分の運命を静かに受け容れるときに使う言葉であり、間違っても治療する側の医師が

 

 口にするべき言葉ではないように思えます。

 

 女性の話を聞き、私もまた彼女と似たような思いに至りました。

 

 医師が患者の状態を「仕方ない」と初めから諦めて受け容れてしまっては

 

 治る病気も治らないでしょう。

 

 女性は私に憤慨しながら話してくれました。

 

 ー私はその時、まだ若い医師に言いたかった。仮に、あなたの大切な奥さんや子供がそのようなー

 

 もう取り返しがつかないような病気になったとしても、あなたは、そんな薄情なことが言えますか?

 

 医師も人間です。恐らく自分の大切な妻子が同じ境遇になれば、自分の持てる知識を総動員してでも

 

 救おうとするはずです。

 

 すべてが「巡り合わせ」だから、仕方ないと簡単に諦めることはできないはずですね。

 

 残念なことに、現在、第一線で働くプロの医師の中には、このような考え方をする人が少なからずいます。

 

 私自身、数年前に紹介先で検査を受けた時、そこの医師は

 

 ー正直、この病気になったら、打つ手はない。何をしても助からないから、諦めるしかないんです。

 

 と、私に説明しました。

 

 幸いにも、その病気ではなかったのですが、私は医師の言葉に烈しい衝撃を受けたのを

 

 鮮明に記憶しています。

 

 このブログはお寺のブログなので、できれば誰かを非難するような内容は極力避けたいと

 

 考えていました。

 

 今日は、その自分自身に課した戒めを破ります。

 

 そして、「巡り合わせ」という言葉は、仏教でもよく使われます。

 

 「巡り合わせ」が良かった、もしくは悪かったとは日常の中で多用されるものですが、

 

 間違っても、医師に患者の前で堂々と使っては欲しくない言葉です。

 

 私の中の医師のイメージは、救命率、病気の軽重に関わりなく、

 

 患者の生命を救うことに全力をかけ、最後まで諦めないーというものでした。

 

 しかし、現実の医師は、そのイメージとは大きくかけ離れていることも多いです。

 

 医者になるには国家試験に合格しなければなりません。

 

 当然、頭も良くなくてはなりません。

 

 ですが、専門知識を問う問題だけではなく、人格ー患者を全力で救おうとする仁の心を持つかどうか

 

 も厳しくチェックする試験も是非、付け加えて欲しいものだと思います。

 

                                    合掌