お父さんを東日本大震災の津波で失った7歳の佐々木惣太郎君の作文
(平成24年3月3日付読売新聞)


おとうさん、ぼくは元気だよ。
あのとき、すごくおおきなじしんとつなみでこわかったよ。
おうちがながされてかなしかったよ。
おきにいりのおもちゃもあたらしいランドセルも、おとうさんにつくってもらったプラモデルも、ぜんぶなくなってしまったよ。
なきたいことがいっぱいあったけど、ぼく、がまんしてなかなかったよ。
えらいでしょ。ほめてくれるよね、おとうさん。
おとうさん、ぼく、いちねんせいになったよ。おともだちもできたよ。
なつやすみのしゅくだいもおてつだいも、ちゃんとしてるよ。
あさがおもきれいにさいたし、かぶとむしもげんきだよ。
おとうさんのために、おはかもきれいにおそうじしたよ。
よろこんでくれるよね、おとうさん。
おとうさん、ぼく、おとうさんがいないのはすごくさびしいけど、がんばっているよ。
おとうさんがよろこんでくれるように、がんばってるんだよ。
だからおとうさん、いつもぼくのそばにいてね。
ゆめのなかで、ほめてね。ぼく、いつでもまってるね。

                           (完)


ある人の著書でこの詩のような作文を目にし岩手より戻る新幹線の中で人目を憚らず涙した。
いま、こうして書き写している最中にも涙が溢れ出した。
なぜだろう。自分でも分からない。
皆さんもいちどタイプでいいから書き写してみてください。
この小学一年生の心の中にお父さんは確かに生きている。
人生の半分を折り返した私には、亡くなった父のことを懐かしく思うことはあっても生きているとは思えない。
この惣太郎君のなんの疑いもない純心さよ。
この惣太郎君を可愛そうと思ってはいけないのだろう。
この少年は今も父と一緒に確かに生きている。
この惣太郎君の作文の中に人生の四苦八苦のすべてが表現されており、それに打ち勝とうとしている惣太郎君の強さを垣間見る。
仏様のような惣太郎君に出会ったことに私は涙したのかもしれない。



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1992年、モスクワの郊外スズダリの夕景。私が今まで見た夕焼けの中でも一番記憶に残っている美しいものだった。美しすぎてとても悲しくなったことを覚えている。当時、私はモスクワに単身赴任中。この夕焼けの向こう一万キロ離れたところにいる家族に想いを馳せたからだった。