ようやく梅雨が上がったと思ったらいきなり猛暑だ。最近の天候異変には対応出来ないことが多い。今年の梅雨はいまだかつてない豪雨が続き特に九州地方を始め多くの地域で大きな被害が出て心が痛む。

その梅雨時、週末、マンションの窓から、雨だれを眺めていることがあった。最初は視覚的に興味を覚えていたのだが、気がつくと雨垂れの落ち着く先が鉄板であったりするとポツポツという規則的な可愛い音が聞こえてくる。いつのまにか、私の興味は聴覚的なものに変わっていた。ショパンかビートルズかエヴァンスか、いずれにせよ、雨だれが、美しい音楽のタイトルになりうることがよく理解できる週末の雨の日の昼下がりであった。

私は、ふと、「雨垂れ石を穿つ」という諺を思い出す。軒下から落ちるわずかな雨垂れでも長い間同じ所に一点集中して落ち続ければ硬い石でもに穴をあけてしまうという意味で、教訓的には、どんな小さな力でも、辛抱強く努力すれば、いつかは必ず成功するという喩えに使われる。実際にコンクリートの床でもそこの部分だけが凹んでいるという現象をよく見掛けるから、この諺は科学的にも正しい根拠のあるものだといえる。勿論、一滴だけでは絶対穴は開かない。その影響力はゼロと言っていい。ところが科学的にはゼロではないのだ。限りないゼロではあるが、やっぱり、雨だれ一滴にも破壊力があるのだ。石やコンクリートの床だって、雨だれ一滴ぐらい平気だと舐めていても、実は、ほんの少しずつ痛手を被っている筈である。人間の目では見えないが、未来の科学の目ではその凹みがきっと見えることになるだろう。たった一滴でも石は凹むのだという事実。そうでないと、石に穴があく科学的根拠がない。そして、もう一つ、人の目に気付かれるほどの凹みや穴となることの条件、それは、同じところ、同じ目的に向かってひたすら、これでもかと打ち続けるということだ。

私は会社の在り方を思った。一人一人の力は千差万別で、強い人、弱い人、早い人、遅い人、要領のいい人、悪い人、真面目な人、不真面目な人、優秀な人、自分だけ優秀だと思ってる人、駄目な人、エッチな人(?)、いろいろな人材がある。全社員が一日一つでいいから(雨垂れの一滴です)なにか会社が求める方向にとってプラスになることをする。そうするときっといつかその会社は大きな目標を達成することができるのではないか、穴を開けることができるのではないかと。全員が雨垂れ一滴では、穴があくまでに、会社が持たないではないか!という野次も飛んできそうだが、案外、うまくいかない会社は、普段一日一滴の水滴も垂らしていない社員が多い会社ではないかと思われる。そして、もう一つ大切なこと。会社のトップは、同じ目的を共有させることだ。一滴一滴の雨垂れが全然違う方向に落ちているようでは、なんの成果にも繋がらない。

御多分に洩れず、私も、正直、政治に失望している。地震の復興対策にしても、原発問題にしても、平和や安全、福祉とはおよそかけ離れた論理で世の中が動いていることにうんざりする。しかし、それでも、我々はどのようなときにも、平和に向かっての、真の幸福を得るための努力の一滴を忘れてはならないのだろう。自分の出来る範囲の今日の一滴を忘れぬようにしていきたい。

原発の是非はともかく、案外、いま東京や各地で行われている反原発運動の平和的デモが、その参加者の数が更に増していき、世界を変える動きになることも起こらないとは限らない。雨だれ一滴の力は意外と大きいのだ。


$ミスターのブログ

イングランド地方、 コッツウォルズ辺りの車窓。静かな街の佇まい。
雨のせいで余計静けさが増した。家族で旅した思い出の地。