朝起きて、とりあえず親に連絡。
そしたら、なんと大阪にいた(笑)

状況を話して、今日明日どうなるものでもないから
予定通り、週末まで大阪にいてOKだよ、と伝える。
私自身、まだそこまで深刻な問題だと思っていなかった。

転院先決まったら、また連絡するからと伝えて電話を切る。

そしたら、しばらくして連絡がきて今から帰るから、とのこと。
大阪の親戚に産婦人科医がいて、帰った方がいいといわれたらしい。
大阪から帰京の足で○○の病院にくる、というものの
転院先が決まってないから、無駄足になる可能性があるので
とりあえず、東京駅ついたらそこで待機していて、とお願い。
同タイミングで、お義母さんもお見舞いにくるとおっしゃって
下さっていたが、どのタイミングで転院になるかわからず
転院先が決まり次第、救急車で移動すると聞いていたため
辞退する。

お昼過ぎ、院長先生がきて診察。
内診を再びするも、昨夜と子宮の開き具合は変わっていないとのこと。
先生も、少しでも閉じてくれていればと思っていたのかもしれない。
この時点でも、お腹の張りはなく自覚症状はなし。

これから、病院をあたるとのこと。
ダンナさんには、病院の面会時間に合わせて病院に来てもらい一緒に待機。

しばらくして、院長先生がくる。
なかなか、受け入れ先が見つからないとのこと。
やはり、22週というハイリスクな状態のため難しいらしい。
ただ、広尾の病院で1泊50000円でOKなら受け入れOKなところがあるが
どうするか、聞かれる。
50000円・・・・
ちょっと、考える。
明日になっても、転院先が見つからなければ仕方ないけれど
今の状態では、少し厳しい。

この時点で15時過ぎてたかな。
母が東京駅に着いたとの連絡あり。
とりあえず、○○に来てもらおうとするが、その直後に先生が1時間以内に見つかるかも、と言いにきてくれたため
ふたたび、東京駅近辺での待機をお願いする。

また、しばらくして先生が再びくる。
やはり、厳しいとのこと。
時間も時間だし、今日はこのままこの病院に安静入院をしてもらって
2日後には、23週になるため23週なら受け入れしてくれる病院が
見つかるかもしれない、ということで結論がでた。

この段階で、時間も遅いし母には翌日に病院にきてもらうことを依頼。
この日は、神奈川の実家に帰ってもらうようにお願いをする。

ダンナさんには、この病院にもう1泊するとのことのため
パジャマなど入院の用意をするために、1回帰ってもらうことにした。

ダンナさんが帰った直後、院長先生が電話を片手に病室に飛び込んできた。
病院が見つかった!とのこと。
場所は、幸いにも○○県の病院。
しかも、○○の病院から30分以内の場所。

○○県唯一の総合周産期医療センターのある病院。
通常より21000円高い部屋になるけど、即OKの返事。
(最終的には、通常の部屋の価格での支払いになったけど)
外に出たダンナさんを即呼び戻し。
転院の準備を行う。
※片付けをするだけだけど。

クルマで病院に向かうダンナさんは、一足先に転院先に向かう。
私は、準備をしつつベッドに座っていたら院長先生がきてひとこと。
座ってる状態もお腹を圧迫するから寝ててね、とのこと。
転院先は、○○県一の病院で安心できる場所だから向こうの先生には
状況はよく話してあるから。とのこと。
状況をみて、子宮の入り口を縛る手術ができるか判断してもらうから。
ただ、それは破水の危険もあるから、とのこと。
最善の場所だから、がんばって!とのこと。

本当に、この先生は親身になって病院を探してくれました。
今日は、無理ってなっても探してくれて、私にとって最善の場所を見つけてくれたのでした。

しばらくして、救急車が到着。
普通に、車椅子などで入り口まで移動して自分で救急車に乗り込むと思っていたら。
救急隊員が、病室まできてストレッチャーに乗せられて救急車にのりました。
びっくり^^;
救急車に乗る前に、看護師長さんも激励しれくれた。
救急車には、その病院のもう一人の先生も同乗してくれた。

はじめての、救急車。
感想。
乗り心地悪っ
段差とか、思いっきり感じる。
急病人にとっては、かなり辛いんじゃ。
私は、この期に及んでもまだ自覚症状なし。

そして、転院先の病院に到着。
ダンナさんもちょうどそのタイミングで病院についたらしい。
顔をみて、安心。
もちろん、ストレッチャーにて診察室に移動。
診察室には、先生や看護師さんたちなどたくさんの人がいてびっくり。

先生は3人いた。
3人グループでみていく、とのこと。

確かに、子宮の入り口は開いていて、胎胞がでてきているが
子宮の入り口を縛る手術ができなくは、ない。
しかしながら、感染症を起こしてしまっているからすぐ手術はできない。
その感染が収まるのを待って、手術ができるかを判断する。
ただ、その手術の最中に破水するリスクは伴う。
お腹の子供は元気だから、このままお腹の中にいてもらうのが一番の方法。
ただ、現時点では逆子だから破水した場合は帝王切開しか選択肢はない。
この時点で、子宮の入り口を縛る手術と帝王切開になった場合の帝王切開の手術のサインをする。

このときから、絶対安静。
起き上がることを許されなくなった。
尿のトレーン?もつけられてしまった。
病室への移動も、ストレッチャーでの移動。

この段階から、何度も問題視されたのは私のジェルネイル。
3週間前の結婚式のためのジェルネイル。
ちょうど、この週末にネイルを取りにいく予定だったのだけど
この時点では、まだ取っていなかったのだ。
ジェルネイルをしていると、酸素飽和度を計れないかもしれないらしいのだ。
なんとかして、取れないか聞かれた。
この後、何度もいろんな人から同じ質問をされたのだ。

この説明のときの3人の先生。
ひとり、女性の先生がいた。
とっても、怖い顔でかなりシビアな話をされた。
生存率、障害の話などなど。
でも、この時点でNOとはいえない。
受け入れるしか、ないのだ。
ダンナさんがそばにいてくれるのが、心強かった。

そして、病室へ移動。
移動先は、MFICUというところ。
母体胎児集中治療室。
お腹に赤ちゃんがいる母親のための集中治療室なのだ。

ここからが、苦しかった。
この後、お腹の張りとめに点滴が引き続き開始。
お腹の張りのモニターも継続された。
そしたら、お腹の張りを自覚してないのだけど
モニターの結果では、お腹の張りが出ているとのこと。
それに伴い、張り止めの点滴が強くなっていく。
救急車の振動でお腹が張ってしまった、のだろうか。
張り止めの点滴が強くなっていくのに伴い
お腹の張りの自覚症状が強くなってきた。
日が変わるときには、陣痛らしきお腹の痛みもでてきた。

内診してもらうと、出血もしているとのこと。
痛みも治まらないため、医薬品外の薬を処方された。
30週以上の妊婦に使うの、赤ちゃんに副作用が出ることが確認されたため
最近は使うことが減ってきたが、私の状況から今は張りを押さえることが最優先。
22週の赤ちゃんには影響は出ないと確認という説明を受け、使用してもらう。
いわゆる、痛み止め。
この薬のおかげで、お腹の痛みがおさまりようやく眠れた。