医学部に転部したばかりなのに、須藤さんに乞われて俺は退屈なテニス部の花見に着ている。

今の時間があれば・・・と思わずにはいられないが、かといって家に電話されて親に聞かれるのはマズイと結局出席する事になってしまった。

大学では俺が医学部に転部したのは誰もが知るところだが、家で知っているのは琴子だけだ。

不思議と琴子は俺の秘密を洩らさないという確信がある。

まあ・・・高3の同居がバレた時の様に琴子を全面的に信用する訳にはいかないよな。

どっちにしろ親にバレるなら、自分から言うしかない。

けれど、何の結果も出してない今から言うというのはやはり避けたい。

リミットはどれくらいあるだろうかと考えていたら松本から声をかけられた。

「ねえ、入江くん。ちょっといいかしら」と聞かれ「ちょっとなら・・・」と返事をすると向こうへと誘われる。

「どこまで!?」とわざとそっけなく聞くと、松本は軽く笑って「どーせ抜けたいんでしょ。家まで送った方がいいのかしら」と聞く。

「是非そうしてもらいたいね」と言って松本との交渉を成立させた。


駐車場で・・・と思ったら車に「乗って」と言われ「松本は飲んでないのか!?」と聞いたら、この為に酒は断ってたそうだ。

中々に用意周到だな。

まあ『家に送る』という単語が出た時点で何となく予想してたけどな。

松本は運転しながら「入江くん、医学部はどう!?」と聞いてくる。

俺は素直に「中々・・・興味深くて楽しいけれど、追いつくのが大変だな」と返事をすると松本が笑う。

「フフ・・・入江くんでもそうなのね」

でも、そう言ったきり会話は続かなかった。

松本も緊張しているのだろう。

実は俺もだ。・・・この気持ちを緊張と表現していいのかは分からないけど。

松本の車はさっきの花見会場と俺の家の中間地点の公園で止まった。

ここからだと・・・と近場の駅を頭の中で模索するが、素直にタクシーで帰宅した方が良さげな場所だ。

俺はわざと「ここまで連れて来るからには余程人に聞かれたくない内容って事!?」と冗談めかしていうが、お互い気持ちは分かって居る。

答えは・・・「ええ、そうよ」

俺は口を閉じた。

「今までは勝負出来てると思っていたの。だってこの私が負けるハズないんだもの。勝負にならないって信じてたわ。・・・でも、先日医学部に転部したのを聞いた時、自分の自信が初めて揺らいだの。ねえ、何で琴子さんだけ知ってるの!? ご家族に内緒って本当??」

相変わらず松本は痛いところを突いてくる。

「松本に関係ないだろ」

そう言ったが「大ありよ」と啖呵を切られ、しばし沈黙。

松本にとっては『大あり』でも、俺にとっては全然無問題だという事実が俺達の間に深い溝として横たわっている。

この先一歩でも進めば奈落の底。

それでも松本は越えて来た。

「あたしの気持ち、知ってるでしょ」

そう聞かれた。知ってるさ・・・出会った時から、松本本人げ明言してるんだから気付かない方がおかしい。

素直に「ああ」と答えた。

「ねえ、きょうは入江くんの本当の気持ち聞かせて。あたしの事どう思ってるの!?・・・それともあの娘好きなの」

覚悟を決めた松本の声と表情に誤魔化しが効かない事を・・・いや、分かっていた。

けれど、まだ言えない。

俺は・・・

「わかんないよ」これが正直な今の気持ちだ。

俺と松本の関係にいちいち琴子を挟むつもりはない。

松本を『好き』かと聞かれたら『是』ではある。

しかし、それは友人としてだ。それ以上の関係になるつもりは毛頭ない。

「今、興味があるのは医学書だから」これも事実。

「松本の事は友達以上に思えな・・・」

何て返事をしようかと思案していたら、松本が急に抱きついて来た。

「松本」

「あたし、入江くんの事、本当に・・・諦めるなんて出来ないわっあせる

・・・そう言われたが、心が冷えている現在、松本の想いに応える事が出来ない。

普通はこんな美人に縋られたら感じるらしいんだけどな。

薄々は気付いていたが・・・やっぱりか。

俺は松本の肩に触れ・・・そっと身体を押し離す。

「もう気が済んだ?」

入江く・・・

驚く松本に最後通牒を突きつけようとしたら誰とだったらキスするのかと聞かれた。

ふいに口が動く。

「キスしたよ。琴子とキスした」

これも紛れもない事実。

多分・・・次もキスをするとしたら琴子。

例え今松本とキスしても俺は何にも感じない。

いや、迷惑なとか厄介なというマイナスな感情が働くだけだろう。

「そうなの・・・よく分かったわ。だけど、あたしの感情はおさまらないわよっ」

そう言い捨てて松本は俺をここへ残し、一人去って行った。

まあ、予想してたからいいけどな。

松本に言ってもきっとおふくろの耳にまでは・・・と考えて、ふと後ろを見ると見慣れた靴が視界に飛び込んできた。

まさかだろ・・・!?

そう思ってタイルで囲われた花壇の向こう側を覗くと、琴子が地面を這いつくばっていた。

・・・そこまでするか、普通汗

誰がこの状況で『お前に恋してるんだ』なんて言えると思うだろうか。

もうため息しか出ない。

・・・別にまだ告白する気はねーけどな。

俺は琴子に呆れつつ置いて帰ろうとしたら、金がないから一緒にタクシー乗せてと泣きついてきた。

ここまで来るともう・・・琴子らしくて笑えてくる。

迂闊に聞かれてしまったが、キスの事も2年前のと勘違いしているし・・・俺を追ってここまで来た根性を認めて許してやる事にした。

お前はそうやって―――いつまでも俺の後を追ってこればいい。

さっきまで冷えていた心が、今になって熱くなってきた。

今日の勉強ははかどりそうだと、俺は家に帰る前から医学書を手に取る事が楽しみで仕方が無かった。