想像 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


敦希が生きていたら…って

何度も何度も何度も想像する。



でもそれは敦希に病気がなかったら…

の想像ではなく



病気でも生きていてくれたら…

の想像。



それが私の知っている敦希だから。






悠伸の幼稚園生活は何気に色々と忙しい。

もし敦希が生きていたら、私はどこまで参加できてたんやろう?と思うことがある。



きっと目まぐるしい毎日なんやろうな。

困ることも多かったに違いない。



それでも私はその生活を送りたかった。

どんなに忙しくて大変でも、悠伸と敦希の2人育児をしていきたかった。



想像するしかできない虚しさ・・・

こんなに会いたくて会いたくてたまらないのに、会えない苦しさ・・・

いつになったらこの気持ちは落ち着くんやろう?

落ち着くことなんて、あるんやろか・・・






ある人に言われたことがある。

敦希が亡くなってすぐのことだった。



亡くなるのが早いうちで良かったんとちがう?

しんどさが分からんうちで良かったやん?

…と。



私は何でそんなことを言うのか意味が分からなくて、言葉を失っていたような気がする。ただただ唖然。



しんどさが分からないうち?

敦希はしんどかったと思う。

分からないことなんてない。

しんどくても一生懸命生きていた。

赤ちゃんだから何も分からない、なんて感じたことはない。

立派に立派に生きていたよ。






やっぱり他人事だ。

だからそんなことが言えるんだ。

そう感じた。






もし、敦希が生きていたら・・・

まだ入院していて家族バラバラの生活かもしれない。

悠伸の幼稚園の行事にも参加できなかったかもしれない。



それでもいい。

悠伸には我慢ばかりさせてしまうけど、敦希が生きていてくれるのなら・・・

時間がかかっても、家族がまた4人で過ごせるのなら、私はどんなに希望がもてたやろう?

可愛い我が子たちが生きていてくれるのなら、私はどんなことでも頑張れたのにな。






私は敦希の病気が治らなくてもいいから、家族で過ごせるならそれだけで幸せだって思ってた。

不安ももちろんあったけど前だけを見て生きてきた。






私は贅沢なんか望まなかったのにな。

周りの人たちの言葉が贅沢に聞こえてしまうのは、そのせいなのかな。

妬み、なのかもしれない。






世の中はやっぱり不公平だ。

でもきっと不公平なのが世の中であって、私よりももっともっと辛くて苦しい思いをしながら、歯を食いしばって生きている人はたくさんいる。

私も何があっても突き進んで生きていくしかない。

私には今の幸せが壊れなければ怖いものなんて、何もないもんね。






こうやって落ち込む度に自分に言い聞かせて頑張る。






また明日から頑張ろう!









とっておきのスマイル♡

なかなか笑うことのなかった敦希

朝は比較的機嫌が良かったから、話しかけたらよく笑ってくれていた。
心不全のある人は朝がしんどいって聞いたことあるけど・・・どうなんやろ?







お兄ちゃん、日々成長中!

敦希の分もね☆